ヘブル人への手紙第十三章に基づく物語
信仰の旅路を歩む者たちは、荒野のようなこの世にあって、互いに兄弟愛を堅く保っていた。彼らはエルサレムから離散し、異国の地で寄留者として生きるユダヤ人クリスチャンたちであった。夕暮れ時、オリーブ山のふもとに集まった信徒たちは、互いに労わり合いながら座っていた。
「旅人をもてなすことを忘れてはいけない」と長老のエリアザルが語りかけた。彼の銀髪は夕日に照らされ、知恵の輝きを放っていた。「ある人々は、そうして気づかずに天使たちをもてなしたのである」
集いの場には、遠方から来た旅人が数人混じっていた。衣服には旅の塵が積もり、疲れ切った面持ちで座っていた。すると信仰者たちが次々と立ち上がり、水の入ったたらいと清潔な布を持って来た。一人の老女が温かいパンと蜂蜜を差し出し、若い夫婦が葡萄酒の皮袋を開けた。
牢につながれている人々のことも忘れず、自分も同じように牢にいるつもりで思いやりなさい。苦しめられている人々のことも、自分も同じようにからだを生きていることを忘れてはいけません。
次の安息日、信徒たちはひそやかに地下墓地へと向かった。ローマ兵の目を避けながら、暗闇の中を進む。ろうそくの灯りが揺らめく先には、信仰のために投獄された兄弟たちがいた。鉄の鎖の音が冷たく響く中、信徒たちは囚人たちの手を握り、共に詩篇を唱えた。涙がほこりっぽい床に落ち、祈りが石壁に反響する。
結婚をすべての人の間で尊びなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫をする者とをさばかれるからです。
アクラとプリスキラの家では、結婚の祝宴が行われていた。花婿と花嫁は純白の衣をまとい、七本の枝を持つ燭台の前で誓いを交わした。参列者たちは、神が定められた結婚の尊さについて語り合った。年配のラビが立ち上がり、「夫と妻の結びつきは、キリストと教会の関係を映し出す鏡である」と説いた。皆がうなずき、杯を掲げて新婚夫妇の健康を祈った。
生活が金銭に左右されてはいけません。今あるもので満足しなさい。主ご自身が、「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われたからです。
市場では物価が高騰し、人々の不安が広がっていた。しかし信徒マルコは、質素な家で静かに祈っていた。「主よ、今日のパンと明日の希望とを感謝します」と。彼の仕事場には「満足は最大の富」という言葉が刻まれた。近所の子どもたちが空腹で訪ねてくると、彼は最後の一切れのパンさえ分け与えた。
私たちのためになされた犠牲を覚え、絶えることなく賛美のいけにえを神にささげよう。これこそ、主を告白する唇の実なのである。
エルサレム神殿が破壊されてから数年が経ったが、信徒たちは新しい礼拝の形を守り続けていた。ある金曜日の夕暮れ、彼らはゲツセマネの園に集まった。過越の子羊の代わりに、心からの賛美をささげるためである。長老がぶどう酒とパンを取り、「これはキリストの永遠の犠牲を記念するもの」と宣言した。一同が跪き、感謝の祈りがオリーブの木々の間を満たした。
指導者たちの言うことを聞き従いなさい。彼らはあなたたちのたましいのために目を覚ましているのです。彼らが嘆かないで済むようにしなさい。そうすれば、それはあなたたちの益となるのです。
夜明け前、信徒たちは羊飼いダビデの墓の前で祈りをささげていた。突然、ローマの巡察隊が現れたが、一人の百人隊長が手を挙げて止めた。実はこの隊長も密かに信仰を持っていたのである。彼は信徒たちにうなずき、安全に去れる道を示した。神が不思議な方法でご自分の民を守られることを、皆が心に刻んだ。
主イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのないお方です。さまざまな風の教えに迷わされてはいけません。
迫害が激しくなる中、ある者が異端の教えを持ち込んだ。「動物の犠牲が必要だ」と主張する者もいれば、「天使を礼拠せよ」と言う者もいた。その時、エリアザル長老が聖書の巻物を広げ、ヘブル語で語り始めた。「キリストの犠牲は一度で完全なのです」。彼の声には揺るぎない確信があった。迷っていた者たちは悔い改め、再び純粋な信仰に立ち返った。
私たちは、キリストの血によって聖なる所に入る信仰を持っています。神は私たちのために新しい生きた道を設けてくださいました。
やがて信徒たちは、もはや地上的なエルサレムを求めるのではなく、天にある永遠の都を目指して歩み続けた。彼らは互いに励まし合い、賛美をささげながら、この世の荒野を旅するのであった。夕暮れの光が彼らの背中を照らし、信仰の道は金色に輝いている。たとえ困難があっても、彼らは確信を持って前進する。大祭司キリストが、とこしえに彼らと共におられるからである。
こうして、見えないものを見るようにして耐え忍んだ人々は、地上では旅人であり寄留者であることを自覚しながら、約束の地を目指して歩み続けるのであった。信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さず、疲れた魂をその恵みによって支えられながら。




