ダビデの人生は夕暮れの影のように長く伸び、今はもうほとんど水平線に沈みかけていた。王の寝室には、オリーブ材の寝台の周りに香油と薬草の匂いがたちこめていた。老いた王の指は布団の上でかすかに震え、かつては巨人ゴリアテを倒したその手も、今は羊皮紙の一枚さえめくれない。
「ソロモンよ」
ダビデの声はかすれており、まるで遠くの谷間から聞こえてくるような響きだった。ソロモンは父王の枕元にひざまずき、耳を近づけた。
「わたしは全地の行く道を行く。強くあれ、男たれ。あなたの神、主を守り、その道に歩み…」
ダビデの目には、かつての戦場の光景がよみがえっていた。ヨアブの槍がアブネルの胸を貫く瞬間、ウリヤの死を知らせた伝令の震える声、そしてバテ・シェバの屋上で水浴びする彼女の姿。罪と悔い改めの記憶が、老いた王の頬を伝う一筋の涙となった。
「ヨアブのことだが…あの男はわたしの意に反して、ふたりの軍の長、アブネルとアマサを殺した。戦時の血を平時に流したのだ。知恵をもって対処せよ」
ソロ蒙は父の言葉を一言も漏らさぬよう心に刻んだ。王座というものは、単なる栄光の座ではなく、むしろつらく鋭いとげの冠のようなものだということを、彼はこの時初めて悟った。
ダビデの葬儀の煙がエルサレムの丘に立ちのぼった七日後、ソロモンはギホンの高台に立った。祭司ツァドクの角笛の音が谷間に響き渡り、新しい王の誕生を告げた。民の歓声はオリーブ畑を揺らし、いちじくの木々の葉を震わせた。
しかし、王座を狙う影はすぐに現れた。異母兄アドニヤが、父ダビデの最期の世話をした少女アビシャグを所望したという。これは単なる恋慕などではなく、明らかな王権への挑戦であった。
「母上、なぜアドニヤ兄上のためにそんなことを?」ソロモンはバテ・シェバの前にひざまずいた。彼女の目には複雑な光が揺れていた。かつての過ちから生まれた我が子が、今やイスラエルの王となっている。歴史の皮肉を彼女は深く感じずにはいられなかった。
アドニヤの運命は決まった。王の命令一下、ベナヤの刀が閃き、野望は血の海に消えた。
続いてヨアブの問題が残っていた。老将軍は主の幕屋に逃げ込み、祭壇の角をつかんでいた。そこは本来、罪人の命が守られる聖域である。
「主の幕屋から出て来い」ベナヤが叫んだ。
「いや、ここで死ぬ」ヨアブの声には、数え切れぬ戦場をくぐり抜けてきた男の諦念がにじんでいた。
ソロモンはこの報告を聞き、深く息をついた。ヨアブの罪は確かに重大だが、祭壇の聖域を汚すことはできぬ。しかし、ダビデの遺言も無視できぬ。知恵が求められた。
「よろしい、彼が祭壇で死を選ぶなら、そこに葬れ。しかし、もし幕屋から一歩でも出るなら、直ちに処刑せよ」
三日後、空腹と渇きに耐えかねたヨアブが幕屋から足を踏み出した瞬間、ベナヤの剣が閃いた。ダビデの軍を率いた勇将の最期は、意外にもあっけないものだった。
次はシメイの問題である。かつてダビデを呪い、石を投げつけた男だ。ソロモンは彼をエルサレムに閉じ込め、外に出ることを禁じた。
「もしヨルダン川の向こうに行けば、必ず死ぬことを知れ」
三年後、シメイの奴隷二人がガテの王の元へ逃げ出した。シメイは禁令を破り、奴隷を追ってヨルダン川を渡った。彼が戻ってきた時、ベナヤが待ち構えていた。
「王の命令を破ったのだから、仕方あるまい」
シメイはうつむいた。彼の運命もまた、王の正義の前に決せられた。
こうしてソロモンの王国は堅く立てられ、主の知恵が彼を導いた。エルサレムの街には平和が訪れ、神殿建設の準備が始まった。しかし若き王の心には、父ダビデの最期の言葉が深く刻まれ続けていた。
「主の道を守れ…」
夕暮れの宮殿で、ソロモンは羊皮紙を広げ、知恵の言葉を書きつけ始めた。王権という重荷を背負いながら、彼は祈った。主の導きを、正しい裁きを、そして父が成しえなかった神殿建設の業を。
オリーブの木々が夕闇に揺れる中、新しい時代の夜明けが静かに訪れていた。



