エペソの港町は、夕暮れの靄に包まれていた。潮の香りが路地に絡まり、遠くで船を繋ぐ鎖の音が鈍く響く。広場の片隅、オリーブの老木の下に、人々が集まっていた。中心に座るのは、エラトスという名の老人だった。背はもはや曲がり、手の甲には川の流れのような静かな脈打つ皺が刻まれている。だが、その声だけは、深い井戸の底から響くように澄んでいて、ざわめきを切り裂いて届いた。
「思い出してほしい」老人は膝に載せた羊皮紙に触れもせず、集まった者たち一人ひとりの顔を見つめた。「あなたがたが最初に聞いたこと、あの揺るぎない約束の言葉を。」
風が一陣、ほこりを巻き上げた。彼の言葉は、単なる懐古ではなかった。そこには、差し迫る何か、暗くなる空に先立つ最後の光のような切実さがあった。
「私たちの主、救い主イエス・キリストの権能によって、尊く大いなる約束が与えられた」エラトスはゆっくりと言葉を継いだ。「それは、この世の退廃から逃れ、神の本性にあずかる者となるためだ。」
彼の目は、遠くの水平線に釘付けになった。その視線の先には、彼自身の長い旅路が横たわっていた。ガリラヤの荒れ地での飢え、エルサレムの狂騒の中の絶望、そしてあの男との出会い。漁師だったあの頑固なシモン、後のペテロ。そのペテロから直接、この耳で聞いた言葉が、今、彼の口から紡ぎ出されようとしていた。
「だから、あらゆる努力を払いなさい」老人の声に力がこもった。「信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。」
彼は一つ一つの言葉を、石積みのように丁寧に重ねた。それは説教というより、職人が最後の仕事に全てを注ぎ込むような、静かな情熱に満ちていた。「信仰」と彼が言う時、それは岩の上に家を建てた愚かで熱心な青年のことを思い出していた。「徳」には、盗みの習慣を断ち切るために、夜通し祈り続けたある商人の苦闘が映っていた。「知識」は、単なる学問ではなく、愛する者を病で失った女が、神の沈黙の中に意味を見出そうともがく営みそのものだった。
集まった者の中に、若い工人がいた。その日の失敗で手にできた水膨れをじっと見つめている。エラトスは彼に目を留め、優しく言った。
「これらのものがあなたがたに備わり、豊かになるなら、私たちの主イエス・キリストを知る点で、あなたがたを役に立たない者とか、実を結ばない者とはしません」
老人は少し間を置き、ため息のような息を吐いた。その目には、約束を聞きながらも、砂のように揺らぎ、消えていった幾つもの顔が去来しているようだった。
「これらを持たない者は、盲人であり、近視眼です。以前の罪が清められたことを忘れて、暗闇の中を手探りで歩んでいるのです」
日は完全に沈み、僕が持ってきたランプの灯りが、老人の顔をゆらゆらと照らし出した。その皺の影が深く、彼が語る言葉の重みを増幅させた。
「ですから、兄弟たち。あなたがたの召しと選びとを、ますます確かなものとしなさい。これらを行なっていれば、つまずくことなど決してありません。こうして、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国への豊かな入り口が、あなたがたに与えられるからです」
「永遠の御国」という言葉が、夜風に乗って広がった。それは、この埃っぽい広場や、体の痛み、明日の糧の心配を超えた、確かな到達点を示していた。老人は再び羊皮紙に目を落とし、つぶやくように付け加えた。
「わたしは、これらのことを、あなたがたに常に思い起こさせます。たとえあなたがたが知っていて、あなたがたにある真理に堅く立っているとしても。この幕屋を脱ぎ去るときが近づいているとわたしは思います。私たちの主イエス・キリストも、わたしに示してくださいました。しかし、わたしは、あなたがたがわたしの去った後にも、いつでもこれらのことを思い起こさせることができるように、努めます」
ランプの火が一瞬、激しく揺れた。エラトスの目に、一筋の涙が光った。それは悲しみではなく、あのガリラヤ湖畔で、復活した主がペテロに「わたしの羊を飼いなさい」と語りかけた時、そばにいて、ペテロの肩が震えるのを見たことへの、深い愛着に似たものだった。彼自身は使徒ではなかった。ただの目撃者、聞き手に過ぎない。だが、彼から聞いた者たちが、また別の者に語り継ぐ。その連鎖こそが、嵐の中の船を繋ぎ止める太いロープなのだ。
人々は静かに立ち上がり、それぞれの宿へと散っていった。工人の青年が最後まで残り、躊躇いながら近づいた。
「エラトス様、『徳』を加えるとは…具体的に、どうすれば?」
老人はゆっくりと顔を上げ、青年の傷んだ手を見つめた。そして、自分の枯れ枝のような手を差し出し、そっとその手を包んだ。その掌は驚くほど温かかった。
「明日、あの壊れた埠頭の石材を、誰に言われるでもなく直しに行くのだ。それがお前の『徳』の始まりだ。そして、それをする時に、誰のためでもなく、ただ主を知る者としてそうせずにはいられない、その心が『信仰』なのだよ。」
青年は息を呑んだ。それはあまりにも小さく、あまりにも具体的な第一歩だった。彼は深くうなずき、闇の中へと歩み去った。
エラトスは一人、ランプの下に残された。遠くで波の音が響く。彼はもう、大勢を動かす力はない。だが、今夜、あの青年の目に一筋の灯りが灯った。それは、この世の闇が決して消すことのできない、ほのかで、しかし確かな光だった。彼はゆっくりと目を閉じ、唇を動かした。
「主イエスよ。この小さな灯りが、次の夜を繋いでいけますように。」
そして、ごく自然に、彼自身の歩みが、信仰から愛へと至る、緩やかで険しい階段を一歩一歩、昇っていった幾十年の日々として、心に浮かんだ。すべては、あの約束から始まった。今も、そしてこれからも。




