かつて、エルサレムの宮殿に影が長く伸びる頃、私は回廊の石畳を歩いていた。大理石の柱に夕陽が赤く染まり、遠くからは祭司たちの詠唱がかすかに聞こえる。私は王に仕える者として、もう十年になる。顔には、初めてここに来た時の若さはなく、代わりに幾筋かの皺と、人々が「知恵の輝き」と呼ぶどこか曇った落ち着きが宿っていた。あの日、私はただ一つを願った。物事の意味を知りたいと。
王の命令は、時に理解を超えていた。ある夏の暑い日、王は突然、遠征から帰還した将軍の栄誉を剥奪し、その財産を没収すると宣言した。宮廷中が愕然とした。将軍は戦功こそ立てたが、途上で小さな村落を略奪したという噂があった。しかし証拠は曖昧で、誰も口に出さなかった。王の顔は石のように硬く、その目は我々全ての心の奥まで見透かすようだった。「王の前では立ち去ってはならない。悪事に加わってはならない」――私は幼い頃から教えられてきたその言葉を噛みしめながら、ただうつむいて命を受けた。命令を実行する役目の一端が私に回ってきたのだ。
執行は三日後。その夜、私は宿舎の窓辺で酒を啜りながら、外の無花果の木を見つめていた。葉が風にざわめく音は、何か嘆いているようにも聞こえた。あの将軍の家族はどうなるのか。幼い子供たちの顔がふと脳裏をよぎる。しかし王の怒りは正しいのか。いや、正しいかどうかを問うこと自体、臣下の分を越えている。知恵は顔を輝かせるというが、私の内側は重い闇で満ちていた。
事件は思わぬ方向に転がった。執行前日、将軍の屋敷から密使が来た。金貨が詰まった革袋をそっと差し出しながら、執行を一日だけ遅らけてくれと頼む。目をつぶってほしい、と。袋の重みが手のひらに鈍く響く。私は長いため息をつき、革袋をそのまま密使の胸に押し返した。「時の定めがある。何事にも」――ふと、かつて師がつぶやいた言葉を思い出した。すべての事には時がある、と。だが、この時は誰が定めたのか。王か、神か、それともただの偶然か。
結局、執行は予定通り行われた。将軍の家族は泣き叫び、屋敷から追い出される姿は見るに堪えなかった。その一方で、宮廷では別の騒動が起きていた。王の寵臣の一人が、賄賂と詐欺の疑いで捕らえられたのである。人々は囁き合った。「あの男はこれまで何度も悪事を働きながら、王の笑顔ひとつで無事だったのに」と。しかし今回ばかりは王も厳しい態度を崩さない。結局、寵臣は公開の場で鞭打ちの刑を受け、財産の半分を没収されたが、命は助かった。将軍の失墜と比べれば、軽い処分だった。
「義者が悪者のような報いを受け、悪者が義者のような報いを受ける。これもまた空しい」と、私は独りつぶやいた。宮殿の隅にある私の小さい部屋で、粘土板に記録を付けながら、その言葉が幾度も頭をよぎる。窓の外では新月が細くかかり、星が冷たくまたたいていた。人間には、風を支配することも、死の日を定めることも、戦いの日に免れることもできない。全ては時と偶然の支配下にあるように思えてならなかった。
それから幾月か経ち、ある秋の深まりかけた日に、王が突然、将軍の名誉を部分的に回復させる勅令を出した。理由は明らかにされない。宮廷の者たちは驚き、また戸惑った。しかし私は、以前よりも静かな心でそれを受け止めていた。あの執行の日の後、私はたびたび神殿の丘に足を運ぶようになっていた。そこで年を重ねたレビ族の老人と話すうちに、彼がささやくように語った言葉がある。「神のなされるわざはすべて、時にかなって美しい。人は神のわざを見きわめることができないように、御心のすべてを知ることはできない」
物事の意味を追い求める私の心は、それでも完全には納得しなかった。しかし、知恵の輝きとは、おそらく答えを得ることではなく、問いを抱きながらも足を止めず、それでいて心の平静を失わないことなのかもしれない。私は今、王の命令を遂行するとき、かつてのようなもがきは少なくなった。それは盲従ではなく、むしろ「神を畏れる」という、深く静かな認識から来る従順に近い。悪事が繰り返され、不正がまかり通るこの世で、それでも太陽の下、食べ、飲み、喜びを見いだすこと――それが、私のような者に許された、小さくとも確かな知恵なのだろう。
今、私は再び回廊を歩いている。朝の光が石壁を優しく照らし、鳩の声が聞こえる。今日も王から新たな命令が下るかもしれない。理解できぬことも、不条理に思えることもあるだろう。しかし私はもう、あの夕陽に映えた大理石の柱のように、ただ硬く立っているわけにはいかないと知っている。風にざわめく無花果の葉のように、時という大きな流れの中であえぎながらも、根を張り続けるのだ。そして、どんなに知識を増そうとも、神のわざの全体を見渡せる者はいない、というあの諦念に似た真実を、そっと胸に抱きしめながら。




