聖書

裸の預言者イザヤ

その日、エルサレムの丘には、いつもより濃い影が落ちていた。午後の日差しが石畳を白く焼く中、イザヤは家の奥の静かな部屋で、巻物を前に座っていた。窓からは、街の喧噪——商人の掛け声、らくだの鈴の音、子供たちの走り回る足音——が、ぼんやりと聞こえてくる。彼の指は羊皮紙の上を滑り、あるべき言葉を探していたが、いつものように言葉が彼を見つけてくれるその前に、空気が変わった。

肌に触れる風さえもが、突然、重くなった。部屋の奥から、声ではなかった。言葉以前の、意志そのものが、彼の臓腑に沈み込んできた。脊髄が震え、口の中が乾く。預言者にとってなじみの感覚、あの畏怖と憂いが一度に押し寄せた。

「行け。あなたの腰から麻布を解き、あなたの足から履物を脱げ。」

命令は簡潔で、余地がなかった。イザヤはゆっくりと目を閉じた。自分が聞き間違えたことを、ほんの一瞬、願った。麻布の腰布——それは預言者が身につけるべき、慎みと悔い改めのしるしだ。しかし、それを解けというのか。すべてを、か。履物さえも。彼の脳裏を、恥と困惑が駆け巡った。エルサレムの道を、裸同然で歩くというのか。三年もの間、と次の言葉は続いた。それは宣告のようだった。

「わが僕イザヤの裸と裸足は、エジプトとクシュに対するしるしとなり、前兆となる。」

彼は深く息を吸い、立ち上がった。手足は鉛のように重い。妻が隣室で織機を動かす音が聞こえる。あの音は、日常の、何よりも確かな安らぎの音だ。どうやって話せばよいのか。家族を、弟子たちを、どういうわけだ、と顔を上げる街の人々を、前にすればよいのか。彼はゆっくりと腰に手をやり、麻布の結び目を解いた。織り目粗い布が床に落ちる音は、驚くほど小さかった。次に、革のサンダルを脱いだ。足の裏が冷たい石の床に直接触れた。この感覚だけで、彼は無防備になったような気がした。

最初の一歩は、戸口を出ることであった。午後の光が、裸の肌に容赦なく降り注いだ。路地の砂利が、慣れない足の裏に痛く食い込む。最初に見たのは、井戸端で水を汲んでいた若い女だった。彼女はイザヤの姿を一目見るなり、水がめを置き、顔を覆って家の中へ駆け込んだ。彼は目を伏せず、前方を見据えて歩き続けた。預言者としての威厳など、今はもう何もない。あるのは、この無様な肉体と、それを貫く神の意志だけだ。

噂は、野火のように広がった。「イザヤが気が狂った」「恥知らずだ」「神聖を汚している」。好奇の視線、冷笑、そして純粋な心配のまなざしが、彼に浴びせられた。弟子の一人が駆け寄り、外套を差し出そうとしたこともあった。イザヤはただ首を振った。言葉は要らない。この沈黙そのものが、語りかけなのだから。

日々は過ぎ、季節は巡った。夏の灼熱の日も、冬の冷たい雨の日も、彼は歩き続けた。足の裏は最初は血まみれになり、やがて革のように厚く硬くなった。肌は日に焼け、風に裂かれた。ある日、市場の片隅で、彼はふと立ち止まった。遠くから、隊商の話し声が聞こえてくる。言葉の端々に、「エジプト」と「クシュ」という響きがあった。南の大国エジプトと、その南に広がる豊かな地クシュ。ユダの宮廷では、強大なアッシリアの圧力に対して、これらの国々と同盟を結び、頼ろうとする声が高まっていた。金と戦車と、数多くの兵士。目に見える力への依存。

その時、イザヤは己の裸の姿の意味を、骨の髓まで理解した。この惨めさ、この無力さ、この完全な隷属の姿こそが、まさにエジプトとクシュの未来なのだ。彼らが誇る武力も富も、アッシリアという巨獣の前では、この裸の体同然にはかないものになる。捕らえられ、裸にされ、恥辱の中を連れ去られる民の姿。彼は一つの生きる預言、歩く哀歌となっていた。

三年目の終わりが近づいたある夕暮れ、イザヤはオリーブ山の斜面に座っていた。エルサレムの街並みが夕闇に沈み始める。彼の心には、もはや当初の恥じらいはなかった。あるのは深い哀れみと、人々がこのしるしに気づかないことへの焦燥だけだった。ふと、背後から幼い子供の声がした。

「お母さん、あの人、寒くないの?」

母親は何も答えず、子供の手を引いて急ぎ足で去って行った。イザヤはかすかに笑った。子供は純粋に見たままを口にする。彼は立ち上がり、再び町へと降りて行った。歩くたびに、砂利がごろごろと音を立てる。それが、やがて来る捕囚の民の足枷の音のように聞こえてきた。

そして時は満ちた。遠く北方から、確かな報せが届き始めた。アッシリアの王サルゴンが、果たしてアシュドドを攻め落としたという。そして、その勢いのままに南へ矛先を向け……。ついに、エジプトの国境が破られた。その後を追うように、クシュの地からも、戦士たちが鎖につながれて連れ去られていくとの情報が、商人や逃亡者の口から、切れ切れにもたらされた。

エルサレムの宮殿は騒然とした。エジプトへの期待は、一夜にして崩れ去った。頼みの綱は、実は葦の杖のように折れやすかった。その日、イザヤは初めて腰に麻布をまとい、足に履物を履いた。家の戸口に立つと、かつて彼を嘲笑った者たち、無視した者たちが、今は蒼い顔で彼を見つめていた。彼は静かに口を開いた。声は嗄れており、しかしよく通った。

「見よ、我々が頼りとし、逃れんと望んだあの国々は、こうなる。アッシリアの王は、エジプトの捕虜とクシュの逃亡者を、若い者も年老いた者も、裸で裸足で、尻をあらわにして連れ去る。それは、ユダの恥となる。エジプトの栄光にすがり、クシュの威光を誇った者は、今、彼らの裸の姿を見て、恥じ恐れねばならぬ。我々が目を向けるべきは、人の国々の瞬きのような輝きではない。砂の上の砦ではない。」

彼はそれ以上、説き明かさなかった。人々は彼の言葉に、そして何よりも、過去三年間にわたって彼自身が体現してきたあの痛切な“しるし”に、ようやく気づき始めていた。彼が裸足で踏みしめた埃っぽい道のり、その一歩一歩が、遠い地で繰り広げられる破滅の、確かな予兆の足跡であったのだ。

イザヤは家の中へ戻った。静かな部屋で、再び巻物を広げた。しかし今、彼の心には深い静寂があった。預言は語られた。しるしは示された。あとは、見る目がある者が、見るかどうかだ。窓の外から、いつもの街の喧噪が聞こえてくる。しかしその音は、以前とは違って、どこか虚ろに響いた。頼るべき堅固なものなど、この世に一つもないのだという事実を、彼の裸の三年間は、沈黙のうちに、しかし力強く語り尽くしていたのである。

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