エドムの荒涼とした丘陵地帯から、夕陽が赤黒く沈みかけていた。風が砂礫を転がし、乾いた灌木の枝を揺らす音だけが、この不毛の地に響いていた。その時、地平線の彼方から、一人の者が歩いて来るのが見えた。
最初は、ただの黒い影に過ぎなかった。しかし、次第にその姿がはっきりしてくる。彼の衣は深紅に染まっている。まるでワイン醸造所で、プレス機を踏みしだく者のようだ。否、それ以上の何か、もっと恐ろしい、生々しい赤だった。彼の歩みは重く、確かで、何ものにも躊躇わない力に満ちていた。
ベヌヤという名の老いた羊飼いが、岩陰からその姿を目にした。彼は身を縮めた。エドムの地は、昔からイスラエルの敵であった。今、この時代、都エルサレムは荒廃し、民は捕囚の辱めの中にあった。この不気味な到来者は、さらに新しい災いの前触れなのだろうか。
その者は近づいた。その衣は、確かに赤かった。そして、その顔には、何かしら親しみ深い、しかし厳しい威厳が漲っていた。
「お前はそこに隠れている者よ、出て来い」
声は低く、しかし岩肌にまで響き渡るような深みがあった。ベヌヤは震えながら、岩陰から出た。
「そなたは…誰だ? その衣は、何故、あのように赤いのだ?」
到来者は、ゆっくりと自分の衣の裾を見下ろした。その目には、遥か遠いものを見るような、悲しみと決意が入り混じった光があった。
「これは、私自身の衣ではない」と彼は言った。「これは、私が一人で踏みしだいた酒ぶねの染みなのだ。諸国の民は、私の怒りのぶどうの房のようであった。私は彼らを踏みつけ、彼らの血が私の衣を汚した。復讐の日が私の心の中にあり、私の贖いの年が来たからだ」
ベヌヤは息を呑んだ。その言葉は、古い預言の言葉のように耳に響いた。彼は幼い頃、父から聞いたイザヤの書の言葉を思い出そうともがいた。
「あなたは…主の御使いか?」
到来者は、一瞬、薄く悲しげな微笑を浮かべた。それは微笑というには余りに重苦しい表情だった。
「私は主に拠り頼み、その御腕だけをわが助けとした者だ。私は見た。私の民には助ける者が一人もなく、支える者もいないのを。それゆえ、私自身の怒りが私を支え、私の憤りが私を助けた。私は諸国の民を私の怒りによって踏みにじり、彼らを私の憤りによって酔わせ、彼らの血を地に流させた」
その言葉と共に、老羊飼いの脳裏に、閃光のように光景が蘇った。それは、長く語り継がれて来た出エジプトの記憶、葦の海の奇跡、荒野の導き、約束の地への道程であった。そして、それに続く背信と崩壊の長い歳月。彼は膝をつき、顔を覆った。
「ああ…」
到来者の声は、突然、優しさを含んだものに変わった。
「立ち上がれ、老人よ。私は裁きのために来たが、記憶のためにでもある。私の民のすべての慈しみと、その多くの恵み、そして彼らのすべての背信と荒野の苦難を、私は忘れない。彼が苦難の時、苦しみを共にし、御顔の前を飛ぶ御使いによって彼らを救い、愛とあわれみとをもって彼らをあがなったことを。彼らを苦しめたすべての日、古代より、彼は自ら背負われた」
ベヌヤは顔を上げた。到来者の目には、今や涙が光っていた。その涙は、彼の赤く染まった衣の不気味さを、一瞬にして聖なる悲しみへと変容させた。
「我々は…あなたに背きました」ベヌヤの声はかすれた。「あなたは我々の父となられた。アブラハムは我々を知らず、イスラエルは我々を認めない。しかし、主よ、あなたは我らの父です。我々の贖い主です。あなたの名は、昔から変わることはありません。何故、主よ、我々を迷わせ、あなたの道から心をかたくなにされるのですか? 我々の敵のために、あなたの聖所を踏みにじらせてくださいました。我々は、昔からあなたによって治められない者、あなたの名が唱えられない者のようになりました」
ベヌヤの祈りの言葉は、かつてエルサレムの壁が崩れ落ちる前に、預言者たちが叫んだ悔恨の言葉そのものだった。彼自身の声が、自分でも気づかないうちに、捕囚の民全体の慟哭へと変わっていった。
夕闇が完全にエドムの地を覆い、最初の星がちらりと光った。赤い衣の到来者は、静かに老羊飼いの前に立っていた。彼の姿は、闇の中で微かに輝くようにさえ見えた。
「見よ」と彼は囁くように言った。「私はかつて、モーセを通して海を分けた。私は、彼らを牧草の豊かな地に導き出した。しかし、彼らはそむき、その聖なる霊を悲しませた。それゆえ、私は彼らの敵となった」
彼は一歩、ベヌヤに近づいた。
「しかし、今、私は再び、私の腕を伸ばす。かつて海を分けたこの腕を。私の民の贖いのために」
彼は振り返り、再び荒涼たる地平線、エルサレムの方角へと歩き出した。その背中の赤い衣は、闇の中に次第に溶けていった。最後に残ったのは、彼の言葉の余韻だけだった。
「彼らが心を騒がせ、悔い改めるその日まで。私の慈しみは尽きない。」
ベヌヤは、冷え切った岩の上にいつまでも跪いていた。頭の中は、赤い衣と光り輝く腕の幻、そして、遠くで響く民の泣き声と、それを包み込む深い静寂とでいっぱいだった。風が再び吹き抜け、彼の頬を、知らずに流れ出た涙で冷たく濡らした。夜は、まだ深く、長かった。しかし、東の空には、ほんのりと、新しい昼の予感が滲み始めていた。




