暁の光が、まだ砂の冷たさを宿す荒れ野の大地を、ぼんやりと照らし始めた頃、アキムは起きていた。彼は若いレビ人で、今月、幕屋における毎朝の献げ物の準備を任されていた。夜明け前の冷気が肌を刺す。肩に掛けた亜麻布の上着では、少しばかり足りない。彼は火打ち石を手に取り、慎重に、しかし確実に火口へ火花を散らした。かすかな煙が立ち上り、やがてほのかな炎が誕生する。この火が、今日一日の最初の献げ物を焼き尽くす炎となる。
民数記に記された通り、毎朝、一歳の傷のない雄の子羊一頭を焼き尽くす献げ物としてささげねばならない。アキムは夜のうちに囲いから連れて来られたその子羊を眺めた。柔らかい毛並み、澄んだ目。彼はその首を撫でてから、静かにうなずいた。この行為の重さは、日を追うごとに彼の胸の内に沈殿していった。これは単なる儀式ではない。一日の始まりを、神との契約の記憶によって礎とする行為なのだ。同じく一歳の雄の子羊が、夕暮れ時にささげられる。一日が、この献げ物によって区切られる。荒れ野の生活には定まったものなどほとんどなかったが、朝と夕べのこの煙は、天へ向かって変わることなく立ち上った。
アキムは細かく砕かれた上等の小麦粉にオリーブ油を混ぜ、素焼きの深皿に納めた。穀物の献げ物だ。それぞれの子羊に、十分の一エファの四分の一を添える。彼の指先には油の感触が残り、ほのかな香りが漂う。そして注ぎの献げ物として、ぶどう酒四分の一ヒン。これらの分量は、日々、変わらない。安息日であれば、それは倍になる。二頭の子羊が、二倍の穀物とぶどう酒が。アキムは、数を覚えるだけではなく、その規則正しいリズムそのものが、神と民との間に交わされた、揺るぎない調律のようなものだと感じ始めていた。
月が入れ替わる新月の日は、特別な緊張感があった。朝の献げ物に加えて、若い雄牛二頭、雄羊一頭、傷のない一歳の雄の子羊七頭を焼き尽くす献げ物としてささげねばならない。それに伴う穀物とぶどう酒の量は膨大だ。アキムは仲間のレビ人たちと、早朝から動き回った。雄牛の重い体を清められた台に運び、雄羊の力強い角を押さえる。子羊たちは順番を待って、大人しく鳴く。幕屋の前は、生命の熱気と、ふりかける塩の鋭い香り、そして燃える脂肪の匂いで満たされる。これらはすべて、主への宥めの香りとして立ち上る。アキムは額の汗を拭いながら思う。これら一つ一つが、民全体の、月の初めの誓いなのだと。過ちや足りなさを顧みつつ、新しい月を主の御前に歩み始めるための誓い。
そして、春が訪れ、過越の祭りが近づくと、荒れ野にも一種の熱気が走る。アキムの記憶にあるエジプトの夜は遠い過去のものだが、父や祖父から繰り返し聞かされた話は、彼の血の内に脈打っていた。除酵祭の七日間、毎日、焼き尽くす献げ物としてささげられるのは、若い雄牛二頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊七頭。膨大な作業が毎日繰り返される。だが、その繰り返しの中に、アキムはある確信を見出した。自由を与えられた者たちが、その自由を、自らを縛る律法への服従として捧げ返す。その逆説こそが、契約の核心なのだと。
七週の祭り、小麦の初穂の時も同様だ。同じ献げ物の数が、新たな収穫の喜びと共に主にささげられる。炎は上がり、煙は天に向かう。アキムは、燃えさかる炎の奥に、約束の地の豊かな穂波の輝きを、ほのかに見たような気がした。
日々、月々、年の巡りの中で、アキムは数え、計り、準備し、火をつけた。雄牛、雄羊、子羊。小麦粉と油とぶどう酒。そのすべてが、民数記の二十八章に記された、神がシナイ山でモーセに命じた通りのものであった。ある夕暮れ、一日の務めを終え、手の脂と煙の匂いを洗い流しながら、彼はふと悟った。この詳細極まりない規定は、単なる義務の目録ではない。これは、神がその民の中に、そして民の時間の中に、確かに住まわれるための、目に見える形なのであると。朝ごとに、夕ごとに、月の初めに、収穫の時に。主は、ここにいると言われる。この煙の軌跡の先に、この塩の効いた宥めの香りの向こうに。
荒れ野の風が幕屋の布を揺らし、燔祭の壇の灰を少し舞い上げた。アキムは、明日もまた、暁の光と共に火を起こすだろう。それは、とこしえに続く契約の、ひとつの息吹であった。




