聖書

知恵の声、路地裏に響く

その日、エルサレムの旧市街は、朝から激しい砂漠の風に晒されていた。西側の丘から吹き下ろす熱風が、細かい砂塵を巻き上げ、人々は目を細め、早足で路地裏へと消えていった。私は、ダビデの塔の影になるべく近い、古びた石段に腰を下ろし、羊皮の水筒の口を緩めていた。喉の渇きは癒えたが、心の内に渇きが残る。若い頃からの問い――「正しく生きるとはどういうことか」――その答えを、今も私は探し続けていた。

ふと、市場の喧噪とは反対側、城壁沿いの静かな一角から、かすかな語り声が風に乗って聞こえてきた。声の主は、日陰に座る年老いた者だった。顔は深い皺に覆われ、その目は、遠くを見るように、しかし何かを確かに見据えているように澄んでいた。近づく者もなく、ただ一人で言葉を紡いでいた。

「さあ、聞け。わが声を。
すべての人の子らに、呼びかけよう。
分け隔てなく、道行く者に、
通りすがる者に、門前に佇む者に。」

老人は誰にも話しかけているようには見えなかった。だが、その言葉は風よりも確かに、私の耳に、そして胸に届いた。私は歩みを進め、彼から数歩離れた石に腰を下ろした。彼は私を見てもいないのに、微かにうなずいたような気がした。

「わが声は、町の高い所、
道の分かれる所で響く。
城門の入り口、町の戸口で、
声を張り上げて言う。
『おまえたち、人間よ、呼びかける。
わが声は人の子らに向けられる。』」

老人の声は力強くはなかった。むしろ枯れていた。しかし、一つ一つの言葉に重みがあり、長い年月を経て磨かれた真珠のようだった。彼は、自分の前に広がる石畳を見つめながら、まるで石そのものが聞き手であるかのように話し続けた。

「幼稚な者よ、巧みな分別を悟れ。
愚かな者よ、思慮を深くせよ。
聞け、わたしは尊いことを語り、
わが唇は正しいことを告げる。
わが口は真実を語り、
わが唇は悪を忌み嫌う。」

彼が「悪を忌み嫌う」と言った時、その皺だらけの顔に、一瞬だが鋭い苦痛のようなものが走った。私は思った。この老人は、ただの理想を語っているのではない。彼自身が、その「悪」と対峙し、あるいは内に戦いを抱えてきたのではないか、と。

「わが言葉はすべて正しく、
曲がったこと、偽りは何一つない。
これらは悟る者には明らかであり、
知識を得る者にはまっすぐだ。
銀よりも、わたしの教えを受けよ。
精錬された金よりも、知識を。」
彼はここで初めて、ゆっくりと顔を上げ、私の方を一瞥した。その目は、底知れぬ知性と、不思議な優しさを湛えていた。

「わたしは知恵。分別をわが住まいとする。
知識と慎重さを見いだす。
主を恐れることは悪を憎むこと。
高ぶり、傲慢、悪の道、
ねじれた言葉を、わたしは憎む。」

彼の言葉は、単なる道徳律ではなかった。そこには「わたしは」という、確固たる人格が息づいていた。私は、旧約聖書の箴言を思い出した。確か八章に、知恵が擬人化されて語る箇所があった。しかし、この老人はそれを暗唱しているというより、まるで自分自身の経験として、いや、自分自身の存在証明として語っているように聞こえた。

風が少し和らぎ、日差しが西に傾き始めた。老人の語りは、時空を超えた壮大なものへと移っていった。

「わたしは、いにしえ、地の定められる前、
初めから、昔から、この世の前にあった。
深淵がまだ存在せず、
水の豊かな泉がまだ湧いていない時、
山々が据えられる前、
丘よりも前に、わたしは生まれた。
主がまだ地も野も、
地表の最初の塵も造られない時。」

その言葉を聞きながら、私は周りの石壁やオリーブの木、遠くに見える岩山さえも、一時的にしかし確かに、存在していない「無」の世界を想像せずにはいられなかった。そして、その「無」のただ中に、この老人の声の源となる「何か」が、確かにあったのだ。それは時間さえも超えている。

「そのとき、わたしは主の傍らにいた。
わたしは、日に日に主の喜びとなり、
いつも御前にあって楽しんだ。
その楽しみは人の子の世界にあって、
人々の間で楽しむことであった。」

ここで老人の口元に、かすかだが、紛れもない微笑みが浮かんだ。それは、遠い記憶に触れた者の、深く温かい笑みだった。創造のほんの一瞬前にまでさかのぼるような悠久の時を語りながら、その最後に「人々の間で楽しむ」と言う。この矛盾が、私の心を強く打った。彼は、あまりにも遠く、高き所にある存在でありながら、同時に、この埃っぽい路地裏の石段に座る私のような者をも、楽しみとして見ているのだろうか。

「さあ、わたしに聞き従う子らよ。
幸いなるかな、わが道を守る者は。
教訓を聞き、知恵を得よ。
これを退けてはならない。
わたしに聞き、日々、わが門のそばで見張り、
戸口の脇柱のそばで待つ者は幸いである。
わたしを見いだす者は、いのちを見いだし、
主の恵みを得る。
しかし、わたしをないがしろにする者は、自分のいのちを損ない、
わたしを憎む者はみな、死を愛する。」

語りは静かに終わった。老人は深く息を吐くと、ゆっくりと立ち上がった。骨の折れる動きだった。彼は私に一言も声をかけず、くるりと背を向け、城壁に沿った細い路地へと歩き出した。夕陽が彼の後ろ姿に長い影を落とし、やがてその影も、路地の角に消えていった。

私は長い間、石段に座ったままだった。市場の喧噪は夕方の祈りの時間に向けて変化し、アザーンの声がどこからか響き始める。しかし私の内側には、深い静寂が広がっていた。老人の言葉――否、それは老人を通して響いてきた「知恵」自身の言葉――が、心の奥底で反響していた。

彼は銀や金よりも尊いと言った。それは、この世のどんな富や成功よりも根本的なものを指している。彼は、世界の始まり以前から存在し、創造の喜びのただ中にあったと言った。それは、単なる人間の倫理や哲学を超えた、存在の根拠そのものにまで及ぶ宣言だ。そして、そのような超越的な存在が、今、エルサレムの片隅で、「聞け」と呼びかけている。

私は立ち上がり、老人が消えていった路地とは反対方向へ歩き出した。答えはまだ完全には見えていない。しかし、彼が「わが道を守る者」と言った時、その「道」とは、単に規則を守ることではなく、彼自身との生きた関係の中を歩むことなのだと、直感した。高ぶりを捨て、耳を澄まし、日々、その「戸口の脇柱」で待ち望む姿勢。砂埃にまみれた日常のただ中で、あの永遠の「知恵」の声に、どうすれば聞き従えるのか。その問いが、新たな深みをもって、私の内に芽生えていた。

西の空が茜色に染まる中、私は帰路についた。心の渇きは、癒されたというより、むしろその源が示されたような気がした。水を求めるのではなく、泉そのものへと向かう道程が、今、始まったのだ。

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