エルサレムの晩夏は、石畳に蓄えた昼の熱気をゆっくりと吐き出していた。会堂の一角にある小さな家の二階では、ランプの火がゆれ、壁に巨大な人影を揺らめかせていた。ヤコブは羊皮紙の上にゆっくりと葦ペンを走らせていた。彼の指の関節は、長年の労働と祈りで節くれだっていたが、その動きは確かだった。
「わたしの兄弟たち、そういうわけだから、私たちの栄光の主イエス・キリストを信じる信仰を持っているのに、えこひいきをしてはいけません」
外からは、下の路地を通る人々の話し声、ろばの蹄の音、遠くで商売人が閉店の支度をしている物音が聞こえてきた。ヤコブはペンを止め、目を閉じた。その日、会堂でのことが脳裏に浮かんだ。
二人の見知らぬ男が訪ねてきていた。一人は上質なアレクサンドリア産の麻の外衣をまとい、指には重々しい印章指輪をはめていた。もう一人は、安物の粗末な毛織物をまとっているだけで、その裾は擦り切れ、砂埃で汚れていた。会堂に集っていた者たちの視線は、たちまち前者に向けられた。座る場所を譲る者、にこやかに挨拶を交わす者。「どうぞ、こちらに、良いお席がございます」と、ある長老がすすんで腰掛けを整えるのが見えた。
その一方で、貧しい身なりの男は、入口近くの壁際にただ佇み、誰からも声をかけられることなく、目を伏せていた。ヤコブはその光景を、胸に突き刺さるような痛みと共に見つめていた。かつて主が言われたこと、そしてご自身が示された生き方を思い起こさずにはいられなかった。主は、取税人や罪人と共に食卓に着かれた。その視線は常に、社会の片隅に追いやられた者たちへと向けられていた。
ヤコブは深く息を吸い、ペンに力を込めた。
「もし、立派な服装をした人と、汚れた服装をした人があなたがたのところに入って来て、立派な服装をした人には、『どうぞ、この良い席にお座りください』と言い、貧しい人には、『あなたは、そこで立っていなさい。それとも、わたしの足台のわきに座りなさい』と言うとしたら、あなたがたは自分たちの間で差別をし、悪い考えで人さばきをしたことになるのではありませんか」
彼の筆致は次第に熱を帯びた。ランプの煤が少し、羊皮紙の端に落ちた。彼はそっと吹き飛ばし、続けた。信仰とは何か。口先だけの、死んだような言葉なのか。それとも、その人全体からにじみ出る、血の通った生き方なのか。
「だれかが、『あなたは信仰を持っている。私は行いを持っている』と言うなら、行いのないあなたの信仰を私に見せてください。私は、私の行いによって、あなたに私の信仰を見せてあげます」
彼の思いは、遥か昔の父祖アブラハムへと飛んだ。神が、ひとり子イサクを捧げよと命じられた時、アブラハムはためらわなかった。その信仰は、彼の手を振り上げるという行為によって完全なものとされた。また、遊女ラハブのことも思い出した。エリコの城壁の中で、彼女が斥候たちをかくまい、別の道で逃がしたのは、単なる思いつきではなかった。それは、目に見えないイスラエルの神への信頼が、危険を冒すという具体的な形を取った瞬間だった。
「ちょうど、からだが霊魂がないなら死んでいるのと同じように、信仰も行いがないなら、それ自体は死んだものです」
夜は更け、エルサレムの町は静かになった。遠くで、夜警の唱える時が聞こえる。ヤコブは最後の一節を書き、ゆっくりとペンを置いた。手首が疲れ、目はしょぼしょぼしていた。彼は書き上げた羊皮紙をじっと見つめた。これが、自分に託された務めだった。人を動かす美しい修辞ではなく、日常生活のただ中で、足元を見つめ、手を汚すことの重要性を説くこと。信仰とは、会堂での荘厃な祈りだけで完結するのではなく、むしろ、路地で出会う貧しい者に一杯の水を差し出すその手の中に、真の形を見いだすものなのだ。
窓の外には、三日月が細くかかっていた。明日もまた、この手紙を持って、人々の集まる場所へ出て行かねばならない。そして、言葉以上に、自らの生き方でこの教えを証ししていかねばならない。彼はランプの火を消し、闇の中で、主の御顔を求めて祈りをささげた。静かな夜の空気の中に、信仰と行いが織りなす、一筋の真実が、確かに息づいているのを感じながら。




