日は、鉛のように重く垂れ込めていた。ヨルダン川の東、荒れた丘陵地に続く小道を、一人の老人がゆっくりと歩いていた。名をアグルといい、ヤケの息子である。彼の顔は、無数の皺が刻まれ、それは長年の思索と、砂漠の風と太陽が合作した地図のようだった。目だけは、驚くほど澄んでいて、鷲が巣穴から谷間を見下ろすように、鋭く、そしてどこか哀しげに世界を見つめていた。
彼は今日も、いつもの岩陰に腰を下ろした。足元では蟻の列が、夏の終わりの糧を懸命に運んでいる。彼はそれらをじっと見つめ、唇が微かに動いた。
「蟻よ。力のない者たちよ。されど、夏のうちに糧を備え、収穫の時に集める知恵を、誰が彼らに授けたというのか」
風が一陣、枯れ草の匂いを運んでくる。彼は目を上げ、遠くの崖を見やった。そこでは鷲が渦を描き、上昇気流に身を委ねて滑空している。その優雅さ、その力。彼の胸中に、言葉が湧き上がってきた。
「鷲よ。その道は空にある。それは神が定めた道ではないか。岩間を縫う蛇の道、大海原を征する船の道。すべて、測り難き知恵の采配によるものだ」
彼は羊皮紙の切れ端を取り出し、炭で書きつけた。
「わたしはすべての者よりも愚かであり、人間としての悟りはわたしにはない。わたしは知恵を学ばず、また聖なる者の知識を知らない」
書き終えると、深い、ため息にも似た呼吸をした。彼は知っていた。この世界には、理解を超えた「聖なる方」がおられることを。若き日、エジプトの地で、そして砂漠の放浪の中で、彼は幾度となくその御手の一端を目撃してきた。しかし、その全体像を捉えることは、月の裏側を見ようとするに等しい。
「だれが天に上り、また下ったであろうか。だれが風をそのこぶしに集めたであろうか。だれが水を衣に包んだであろうか。だれが地のすべての境を定めたであろうか。その名は何というのか。その子の名は何というのか。あなたは知っているのか」
岩に背を預け、彼は目を閉じた。内側には、もっと身近で、しかしそれゆえに危険な「言葉」についての思いが去来した。人々が軽々しく口にする祈り。歪められて伝わる預言。彼はうめくように呟いた。
「神よ。二つの事を、わたしに願い求めさせてください。わたしが死ぬまで、それをかなえさせてください。むなしいことと偽りとを、わたしから遠ざけ、貧しくもなく、また富みもせず、ただなくてならぬ糧でわたしを養ってください。飽き足りて、あなたを知らないと言い、『主はだれか』と言うことのないため。また貧しくて、盗みをし、わたしの神の名を汚すことのないためだ」
ふと、ざわめくような声が、彼の耳に入ってきた。遠くの道を、商人らしき一行がラクダを連れて通り過ぎる。金の飾りが陽光を反射してきらめき、高笑いが風に乗って届く。彼らは確かに豊かだ。しかし、アグルの目には、その豊かさが脆い殻のように見えた。彼は知っていた。満たされた腹が、いかに神を忘れさせるかを。
「よだれを拭い去るものは、『なくなった』と言い、『だれがこれを見たか』と言う眼は決して飽き足りない」
彼の思索は、次にこの世に満ちる「軽べつ」へと向かった。それは、父を呪い母を祝福しない世代への痛みでもあった。世代と世代の裂け目。彼は、昨日出会った若者の傲慢な眼差しを思い出した。自分たちこそ新しく、古きものはすべて無価値だと宣言する、あの空疎な確信。
「わたしの世代よ。なぜ、あなたは自分を潔いと思い、自分の罪を洗い清めたと思い込むのか」
日は次第に西に傾き、彼の周りに長い影を落とし始めた。彼は四つの小さく、しかしこの世の真理を鋭く映し出すものを思い巡らせた。
「地上に四つの小さく、されど甚だ聡明なものがある。力のない蟻の群れ。岩だぬきの弱い者ども。王のいないいなごの群れ。みずから王を立てることのできる守宮(やもり)」
彼は一つ一つ、その姿を心に描き、その秩序と生存の知恵に思いを馳せた。それらは、力や権威ではなく、ただ与えられた本能と、それに忠実であることによって、生き延びている。それは逆説的に、知恵に溢れた人間の愚かさを照らし出してもいた。
そして、彼の心は四つの「歩み」へと移る。威張り散らす獅子。すばやい雄山羊。やもりの姿で歩む蛇。そして、威儀を正して進む雄鶏。それらは皆、この世界に与えられた「道」を歩んでいる。彼は己の歩みを省みた。それはあまりに小さく、あまりに迷い多きものだった。
最後に、彼の内から沸き上がってきたのは、この世の「揺り動かす」ことのできないものへの畏れだった。尊大な王、愚かな愚か者、疎ましい女婢、まだ幼き相続人。これらは、彼ら自身の力では制御できない運命の歯車に、社会を組み込んでしまう。
「足りない三つ、いや四つ。地はこれによって震え、耐えることができない。奴隷となって王となる者。愚か者が飽きるほどパンを得る者。醜い容姿で嫁ぐ者。婢となって、その女主人を追い払う者」
彼は顔を上げた。夕日が、荒野を茜色に染めていた。遠くで、一匹のジャッカルの遠吠えが聞こえる。彼は羊皮紙に、最後の思いを記した。
「尊大な眼、偽りの舌、罪なき者の血を流す手、悪事を謀る心、速やかに悪に走る足、偽りを吐く証人、兄弟の間に争いを播く者…これらを憎む方は、いまだに目を覚ましておられる」
彼は書き終え、巻きつるした。彼の心には、若き日に聞いた言葉がよみがえっていた。それは、彼を探求へと駆り立てた根源的な問いだった。
「神の言葉は、真実である。主は、これに寄り頼む者の盾である。その言葉に、何一つ加えてはならない。主はあなたを責め、あなたが偽り者であることを明らかにされるだろう」
風が冷たくなってきた。アグルはゆっくりと立ち上がり、来た道を引き返し始めた。彼の背中は曲がっていたが、その一歩一歩は確かだった。彼は全てを知る者ではなかった。むしろ、知らないことの方が多いと告白する者だった。しかし、その「知らない」という地点から、彼は揺るぎないものを、ほんのわずかながら見つめていた。岩陰に残された彼の足跡は、やがて砂に埋もれるだろう。だが、彼が岩に腰を下ろし、蟻と鷲と、そして測り知れない方を思索したその時間は、風に運ばれ、どこかで誰かの胸に、静かな響きとして残るかもしれない。荒野は、彼を優しく見送るように、深い沈黙に包まれた。




