聖書

切り株からの若枝

その日は、埃っぽい風がアナトトの丘を吹き抜けていた。イザヤは工房の窓辺に座り、指先に付いた粘土の感触をぼんやりと眺めていた。外では、父エッサイが何十年も前に植えた老いたオリーブの木が、からからと枝を揺すっていた。かつては王家に香油を納めたその家も、今はただ、村の片隅で細々と土器を作る者でしかない。エッサイの根、か。彼は口の中でその言葉を転がした。切り株のように見える、私たちの今。灰にまみれ、色あせ、誰にも覚えられていない。

窓枠にひび割れた日差しが落ち、工房の床をまだらに照らす。彼は目を閉じた。すると、視界の奥に、一本の若枝がゆっくりと、しかし確かに、その灰色の切り株から萌え出るのが見えた。鮮やかな緑、息をのむような生命力。それは予期せぬ幻だった。彼は息を詰まらせた。工房の埃っぽい空気、遠くで聞こえる羊の声、すべてが霞んでいった。

そして、彼は知った。主の霊が、その若枝の上に留まることを。知恵と悟りの霊。はかりごとと勇気の霊。知識と主を恐れる霊。それらは、あたかも熟した果実が枝をたわめるように、あるいは深い井戸から溢れ出る清水のように、その者を満たす。彼は目を見開いた。工房の壁は相変わらず煤けていたが、目の前の空気が震えているようだった。これは、見せかけの威光ではない。権力の飾り鎧でもない。朽ち果てた切り株の、地味な、しかし確かな息吹。彼の心臓が高鳴った。

その証しは、どこにもないように見えるところに現れる。弱き者のために、貧しい者のために、正しい裁きがなされる。彼はかつて、エルサレムの宮殿の庭で見たことを思い出した。飾り立てた高官たちが、贈り物の重さで判決を傾けていくのを。だがこの若枝は違う。口先だけで裁くのではなく、耳で弱き者の訴えを聞き、目で貧しい者の真実を見る。不正を打ち砕くその口は、柔和でありながら、楔のように鋭い。

やがて、彼の内なる視界は広がり、変容していった。話は裁きから、この地そのものの変わりようへと移って行く。彼は見た。狼が子羊と共に宿り、豹が子山羊と共に伏す。子牛と若獅子が共に肥え太り、小さい子供がそれらを導く。雌牛と熊が共に食い、その子らが共に伏し、獅子が牛のようにわらを食う。乳飲み子は毒蛇の穴の上で戯れ、離乳した子はまむしの子守歌に安らぐ。

あり得ない光景だ。自然界の血塗られた秩序が、根本から覆される。彼の頭の中では、先週、羊飼いのベニアミンが狼に襲われて失った子羊の、血まみれの毛皮がちらついた。あの現実の痛み、喪失の叫び。それが、この幻の前では色あせてしまう。しかしこれは、単なる動物たちの寓話ではない。彼は直感した。これは、人間の世界の憎しみ、恐怖、搾取、すなわち、私たちが「知恵」と呼んで慣れ親しんできたすべての秩序が、無力化されるということだ。山の主の聖所において、水が海を覆うように、その知恵が地に満ちる日。見る者にとっては、あまりに平和で、あまりに無邪気で、かえって胸が締め付けられるような約束。

幻はさらに進む。その日、主は再び手を伸べられる。二度と、エジプトの海を分けたような荒々しい業によるのではない。残った民のために、アッシリアからも、エジプトからも、パテロスからも、クシュからも、エラムからも、シナルからも、ハマテからも、海沿いの国々からも、帰還の道を整えられる。まるで、世界中に散らされた羊の群れを、一人の牧者が一声で招集するかのように。

そして、ついに一つの旗印が掲げられる。もはやダビデの軍旗ではない。諸国の民の求めるところとなる旗印。それは、かつて切り株と見えた、エッサイの根から立ち上がったもの。そこに、諸国の民は尋ね求めて集う。その憩いの場所は、栄光に満ちている。

ふと、頬に冷たいものが伝うのに気づいた。工房の窓の外では、相変わらずアナトトの丘に埃っぽい風が吹き、老いたオリーブの木が軋んでいる。しかしイザヤは、自分の指先を見つめていた。そこには、今しがたまで粘土が付いていた。彼はゆっくりと立ち上がり、棚から取り出した新しい粘土の塊を、手のひらで優しく転がし始めた。何を形作るのか、彼自身にもまだわからない。ただ、その感触が、切り株から萌え出た若枝の、柔らかくも確かな生命力を、不思議と思い起こさせた。遠い日への約束は、この埃っぽい工房のただ中で、無言のうちに、彼の指先を通して形を取り始めていた。外では、風の音だけが、いつもと同じように、過ぎ去って行った。

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