オリーブの丘から吹き下ろす風が、乾いた土の匂いを運んでくる。昼下がりの日差しは白く、岩肌を焼き、遠くに見えるヘルモン山の峰々はかすんでいた。エリムの水辺からはるか離れた、この異国の谷間で、私はただ一人、岩陰に腰を下ろしていた。耳を澄ませば、かすかに、ごくかすかに水の流れる音が聞こえる。谷を下ったところに、岩の裂け目からこんこんと湧く小さな泉があるのだ。その音を聞くたび、喉の渇きがむしろ増すような気がした。
まるで谷川の水を求めて喘ぐ鹿のように、わたしの魂もまた、神を、生ける神を求めてやまない。いつになったら、私は御顔を仰ぐことができようか。
心底から湧き上がるその叫びは、私自身の内から来ているのに、まるで他人事のように思えた。かつては巡礼の群れと共に、喜びと感謝の叫びに包まれて神殿に上った。祭りの騒ぎ、角笛の響き、人々の頬を伝わる喜びの涙…。あの熱気、あの確信は、今では遠い夢のようだ。ここでは、絶え間なく、しかも低い調子で、「お前の神はどこにいるのか」と嘲る声が聞こえる。それは周囲の異国の神々を祀る人々の声ではない。私自身の記憶の底から、絶望という名の波が、ずしりと魂を打つたびに立ち上がってくる呟きだ。
それでも、昼も夜も、私は思い出す。かつてシオンで、恵みの御座の前で歌ったことを。闇が深ければ深いほど、あの時の賛美の旋律が、むしろ鮮やかによみがえってくる。まるで遠雷のように、最初はかすかで、次第に体を震わせるほどに迫ってくる。私はその旋律を口ずさむ。声にならない、かすれた声で。
なぜうなだれるのか、わが魂よ。なぜ呻くのか。
神を待て。わたしはなおも賛美する。
わが顔の救い、わが神を。
祈りは、多くを語らない。砂に書いた文字のように、次の風で消えてしまいそうな短い言葉だ。しかし、それを繰り返す。岩に刻むように。それは、消えかけた燈火を、手で囲って守るような行為だ。深淵が呼び合う。あの谷底の轟音は、私の内なる混乱そのものだ。神の急流と大波が、私をことごとく打ち砕いた。そう感じる。
しかし…しかしだ。
昼には、主が慈愛を注ぎ、夜には、主への歌が私と共にある。いのちの神への祈りが。
「わが岩よ。なぜ私をお忘れになったのか。なぜ敵の圧迫のもとに、私は嘆き歩くのか。」
骨が砕かれるように、侮る者の言葉が刺さる。彼らは絶えず私に言う。
「お前の神はどこにいるのか」と。
風の音が変わった。夕方の気配が、熱気を和らげ始めている。オリーブの葉がざわめき、遠くで羊を連れ帰る羊飼いの笛が聞こえる。私は岩から立ち上がり、目を上げる。ヘルモンの山々が、夕焼けに赤く染まり始めていた。そして、あの谷底の泉の水音が、再び、しかも以前よりも明確に耳に届いてきた。
なぜうなだれるのか、わが魂よ。なぜ呻くのか。
神を待て。わたしはなおも賛美する。
わが顔の救い、わが神を。
最後の言葉は、もう独り言ではなかった。それは、乾いた唇から滲み出る、確かな宣言だった。救いはまだ見えない。渇きは癒えていない。嘲りの声も、また明日聞こえるだろう。それでも、この瞬間、思い出すこと、待ち望むこと、そしてわずかばかりの賛美をささげること――それらが、深淵の上に、かすかではあるが確かな一本の道を描いていた。闇がすべてを覆う前に、私はもう一度、その声を聞いた。谷川の水を求める鹿のように、と。それは比喩ではなかった。それは、この渇きそのものが、神へと続く道標であるという、痛みを伴う確信だった。




