聖書

御霊に根ざす自由の実

エウセビオスは、朝の涼みがまだ石畳に残る頃に目を覚ました。窓の外からは、羊の鳴き声と、遠くで水を汲む音が聞こえてくる。彼は粗末な寝床から起き上がり、日の光が差し込む方向に顔を向けた。今日もまた、あのことを考えずにはいられなかった。自由とは何か。パウロが語ったあの「キリストにある自由」は、このガラテヤの地で、羊の匂いと乾いた土にまみれて生きる自分に、いったい何をもたらすというのか。

町へ向かう道すがら、彼は先週の安息日に会堂で耳にした言葉を反芻していた。エルサレムから来たある教師が、力強い声で言った。「割礼なくして、真の神の民たることはできぬ」。その言葉は、共同体の中に、目に見えない亀裂を走らせた。あの熱心な教師の言葉には、確かな権威があった。先祖代々の律法、それは揺るぎないもののように思えた。一方で、パウロがかつてこの地で語った言葉は、まるで違う種類の熱を帯びていた。彼は律法の行いによるのではなく、信仰によって義とされると言い、キリストが私たちを自由にするために解放してくださった、と叫んだ。その「自由」という言葉が、エウセビオスには一番重く、また一番恐ろしく響いた。

市場は既に活気づいていた。ろばを引いた商人、色あせた布を広げる老婆、叫び声をあげる魚売り。そこで彼は、クレタスという男を見かけた。彼もパウロの言葉に心動かされた一人だった。しかし今、クレタスの顔は暗かった。近づいて話を聞くと、彼は昨夜、隣人と土地の境界を巡って激しい口論になったという。最後には呪いの言葉さえ交わした、と彼はうつむきながら言った。「エウセビオスよ、私は自由を説きながら、自分自身が憤りと争いという縄目に縛られている。これが、私たちが得たという自由なのか?」

その疑問が、エウセビオスの胸を締め付けた。彼は家路につきながら、荒れ果てたオリーブ畑の傍らを通り過ぎた。そこには、二本の木が並んで生えていた。一本は青々と茂り、もう一本は枯れかかっている。根は同じ土壌にありながら、一方は命の実をたわわに実らせ、他方は不毛だった。彼は突然、パウロの言葉を思い出した。「あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで…」。自由が、自分勝手や隣人への牙となって現れるのなら、それはむしろ、新たな奴隷状態ではないか。

その晩、小さな家に集まった数人の男女たちは、いつにも増して沈黙がちだった。ランプの灯りが、不安げな彼らの顔を揺らめかせた。最初に口を開いたのは、年配のプリスカだった。「私は、エルサレムからの教師たちの言うことが、どこか迫力があるのです。明確で、わかりやすい。これを守れば良い、あれを避ければ良い。でも…」彼女の声が詰まった。「でも、心の中のねたみや、亡くなった妹への未練の思いは、どんなに規則を守っても消えない。むしろ、『守れていない』という罪の意識が、それらをさらに大きくするように感じます」

エウセビオスが羊皮紙の巻物を広げた。パウロの手紙の写しだ。彼はためらうように、しかし確実に声を上げて読み始めた。「…肉の働きは明白です。それは、姦淫、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そしてそのたぐいのものです…」

読み上げられる一つひとつの言葉が、部屋の空気を重くした。誰もが、そのリストの中に、今日この日も自分の中に芽吹いた小さな芽を認めずにはいられなかった。隣人に対する無言の批判。ほんの少しの虚栄心。損な役回りを押し付けられたという不満。

沈黙が深まる中、エウセビオスは続けた。「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善良、誠実、柔和、自制です。このようなことを禁ずる律法はありません」

「では、どうすれば?」クレタスが呻くように尋ねた。「どうすれば、私のような者から、争いや憤りという実ならざる実が落ち、代わりに…平和や柔和が実るのか? 努力すれば良いのか? それでは、まるで律法の行いではないか」

再び沈黙が訪れた。その時、エウセビオスは、ふと昼間に見た二本の木を思い浮かべた。彼はゆっくりと話し始めた。「あの枯れかけた木は、『実を結べ』と自分に言い聞かせて、必死に努力していただろうか。違う。彼は、良い土壌に根を下ろし、太陽の光と雨の潤いを受けていただろう。そして、自然に、いつの間にか…」彼は言葉を探した。「そうだ。『御霊によって歩む』のだ。パウロはそう書いている。御霊によって始めたのだから、律法によって仕上げようとするな、と。それは、枯れ木が自分で自分に水をやろうとするようなものだ」

彼の言葉は、教義の解説というよりも、長い間霧がかかっていた風景が、ほんの一筋の光で突然くっきりと見えたような、そんな体験をもたらした。プリスカの目に涙が光った。「つまり…私たちのなすべきことは、御霊に根を下ろし、キリストという太陽を見つめること。そうすれば、自然と、愛や喜びが…私たちから滲み出てくる?」

「滲み出てくる…か。」エウセビオスは繰り返し、初めてその意味を実感した。それは、規則を守るという硬直した行為ではない。むしろ、信頼に満ちた降伏のようなものだった。自由とは、すべての重荷を下ろし、御霊の風を受けて立つこと。そして、その風に吹かれて歩むとき、道端に撒かれる種が、知らず知らずのうちに愛や善意という花を咲かせるように、自分の人生にも何かが実り始めるということなのだ。

数日後、エウセビオスはまた市場でクレタスに出会った。彼は相変わらず、あの隣人と話をしていた。しかし、そこには先日の険しい空気はなかった。二人は、枯れた井戸の修理について、何やら実用的な話をしているように見えた。クレタスがエウセビオスに気づき、軽く会釈をした。その目には、完全な平和とまではいかなくとも、少なくとも争いを求める炎は消えていた。それは、一夜にして実った完全な実ではなく、小さな、しかし確かな芽だった。

夕暮れ時、エウセビオスは家の戸口に立ち、遠くに広がる野原を見つめた。風がそよぎ、草が波打つ。彼は、もはや「自由とは何か」と問う必要がないことに気づいた。問いは、静かな確信に変わっていた。自由は、答えとして手に握りしめるものではなく、その中を呼吸する空気のようなものなのだ。キリストが解き放ってくださったその空気を深く吸い込み、御霊という風に身を任せて歩む。そこに、敵意でもなく、律法への奴隷状態でもない、第三の道があった。それは、実を結ぶ木が、ただそこに在り、太陽の恩寵を受けるように、在ることそのものだった。

彼はそっと目を閉じた。心の中に、安息日の争いの記憶がよみがえったが、今回は、それを裁く声ではなく、それを包み込む大きな優しさを感じた。彼はまだ完全ではなかった。明日もまた、肉の囁きに耳を傾けそうになる瞬間があるだろう。だが、根は良い土壌に下ろし始めている。あとは、光と雨を待てば良い。いや、既に、それらは注がれているのだ。彼はそのことに、初めて、骨の髄まで信頼を覚えた。闇が迫る野原に、一番星が静かに輝き始めた。

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