聖書

「荒野の賛美と警告:岩なる神への信仰の選択」

**詩編95篇に基づく物語:岩なる神への賛美と警告**

荒野の砂塵が舞い上がる中、イスラエルの民は乾いた大地を進んでいた。長い旅の疲れが彼らの足に重くのしかかり、喉は渇き、心には不満が渇のように広がっていた。しかし、その日、モーセは民を集め、神の言葉を告げた。

「来たれ、主に向かって喜び歌おう。我らの救いの岩に向かって喜びの声をあげよう。感謝の歌をもって御前に進み、賛美の歌をもって主に呼びかけよう。主は大いなる神、すべての神々にまさる偉大な王だからだ。」

民の中から賛美の声が湧き上がった。老いも若きも、手を打ち、足を踏み鳴らし、喜びに満ちて歌った。

「主の御手は地の底を形づくり、山々の頂を据えられた。海は主のもの、主が造られた。陸も、主の御手が形づくられた。」

彼らの声は荒野に響き渡り、天に届くかのようだった。しかし、その中で、一部の者たちは唇をかみ、心に疑いを抱いていた。

「本当に主は我らと共におられるのか? この荒れ果てた地で、なぜ我らは苦しまなければならないのか?」

モーセは彼らの心を見抜き、声を張り上げた。

「今日、主の声を聞くならば、心をかたくなにしてはならない。昔、メリバで、マサの荒野で、あなたがたの父祖たちはわたしを試し、わたしを見ようとした。彼らは、たとえわたしの業を見ても、信じようとしなかった。四十年の間、わたしはその世代を忌み嫌い、『彼らの心は迷い、わたしの道を知らない』と言った。それゆえ、わたしは怒りをもって誓った。『彼らは決してわたしの安息に入ることはできない』と。」

民は静まり返った。かつて、彼らの父祖たちがエジプトを脱出した後、約束の地を目前にしながら、不信仰のゆえに荒野で滅びたことを思い起こした。

モーセの声はさらに力強く響いた。

「主は我らの牧者、我らは主の民、主の御手の羊である。今日、もし御声を聞くなら、従いなさい。心を閉ざしてはならない。主こそ我らの岩、我らの救い。主を賛美し、御前にひれ伏そう。」

その言葉に、民は再び賛美をささげ始めた。しかし、この警告は後の世代にも語り継がれ、信仰と不従順の選択が常に問われることとなった。

主の声に耳を傾ける者は祝福され、心をかたくなにする者は、かつての荒野の民のように、安息を得ることはない。それゆえ、今日、この瞬間にも、人は神の前に立ち、自らの信仰を問われるのである。

**(終わり)**

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