**「岩の上に建てられた家」**
イエス・キリストはガリラヤの丘の上に立ち、群衆を見渡しながら深い慈愛に満ちた眼差しを向けられた。その日の教えは、神の国の道を歩む者たちにとって、揺るぎない真理となるものだった。
「人を裁いてはいけません。あなたがたも裁かれないためです。」イエスの声は静かながらも力強く、群衆の心に響いた。「なぜ、兄弟の目にあるおが屑に気づきながら、自分の目の中にある丸太に気づかないのですか?」
人々は互いを見つめ、胸に手を当てた。誰もが心の中で他人の過ちを探し、自分を正しいと考える傾向があった。しかし、イエスの言葉は彼らの偽善を優しく、しかし鋭く指摘した。
「偽善者よ。まず自分の目から丸太を取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができます。」
その言葉に、ある律法学者は顔を赤らめ、地面を見つめた。彼はこれまで、他人の小さな過ちを厳しく責めながら、自分自身の傲慢には目を閉ざしていた。イエスの教えは、彼の心に悔い改めの種を蒔いた。
続いて、イエスは祈りについて語られた。
「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見つかります。門をたたきなさい。そうすれば開かれます。」
その言葉を聞いた一人の貧しい農夫が、涙ながらに祈りをささげた。彼は長年、生活の苦しみに耐えながらも、神に真剣に願いを捧げたことがなかった。しかし、イエスの約束は、彼の心に希望の光を灯した。
「あなたがたの中に、パンを求める子に石を与える父親がいるでしょうか? 魚を求めるのに、蛇を与えるでしょうか?」
群衆の中の親たちは、我が子を思い、深くうなずいた。イエスはさらに言われた。
「それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、求める者に良いものをくださるにちがいありません。」
人々は神の深い愛に触れ、心が温かく満たされるのを感じた。しかし、イエスの教えはここで終わらなかった。最も重要な戒めが残されていた。
「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これが律法と預言者の教えです。」
この「黄金律」は、神の国の民としての生き方を凝縮していた。人々は互いに顔を見合わせ、この言葉を心に刻もうとした。
そして最後に、イエスは二つの道のたとえを語られた。
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多いのです。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことでしょう。それを見いだす者はわずかです。」
群衆の中からため息が漏れた。多くの者が楽で広い道を選びたがることを知っていたからだ。しかし、イエスは真の命への道が、決して容易ではないことを明らかにされた。
さらに、イエスは偽預言者について警告された。
「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊の皮をかぶってやって来るが、実は貪欲な狼です。あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。」
「ぶどうは、いばらからは取れないでしょう。いちじくは、あざみから取れないでしょう。同様に、良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結びます。」
人々は真の教師と偽りの教師を見分ける知恵を求め、心に留めた。
そして、イエスはこの教えを力強いたとえで締めくくられた。
「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ています。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。」
「しかし、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に似ています。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」
群衆は静まり返り、イエスの言葉の重みをかみしめた。嵐が来る時、砂の上の家は崩れ去る。しかし、岩の上に築かれた信仰は、いかなる試練にも耐える。
教えを終えられると、イエスは群衆を祝福し、静かにその場を去られた。人々はそれぞれの道に戻りながら、この日聞いた言葉を胸に深く刻みつけた。
**(マタイによる福音書7章より)**