聖書

荒野の誓いと神の導き

**「誓いの重み」**

荒野を旅するイスラエルの民は、乾いた風と灼熱の太陽の下で、神の導きを求めながら進んでいた。モーセは神から授けられた律法を民に教え、彼らが聖なる民として歩むように導いていた。その中で、人々は時に神に対して誓いを立て、約束をすることがあった。しかし、誓いには重い責任が伴い、軽々しく口にすべきではないことを、神は民に教えようとしていた。

ある日、ルベン族の娘であるセラは、父の家で暮らす若い女性だった。彼女はある時、主への深い感謝の思いから、「次の新月の日まで、ぶどう酒も濃い酒も口にせず、主に仕えます」と誓いを立てた。彼女の心は純粋で、神への献身を強く願っていた。しかし、その誓いを聞いた父のエリアブは、娘の決意を知りながらも、それが家族全体に影響を与えることを懸念した。

「セラ、お前の誓いは尊い。だが、今は収穫の時であり、家族として共に労する時だ。この誓いは解こう」とエリアブは言った。セラは父の言葉に従い、誓いを解かれた。主の御心は、父が家長として家族を導く権威を持つことを示していた。もし父が娘の誓いを聞いた日に何も言わなければ、その誓いは成立し、セラは責任を負わなければならなかった。しかし、父がそれを留めれば、主は彼を赦し、誓いは無効となる。

一方、同じ頃、ユダ族の妻であるデボラは、夫の不在中に、「もし主が私の夫を無事に帰らせてくださるなら、私は一年間、羊毛で織った衣を主の祭司たちに献げます」と誓った。夫のシモンが帰宅し、妻の誓いを聞いた時、彼は黙って認めた。そのため、デボラの誓いは有効となり、彼女は約束を果たさなければならなかった。もしシモンがその日にそれを禁じていれば、誓いは解かれたであろう。しかし、夫が権威をもって妻の誓いを承認したため、その責任は重くのしかかった。

また、未亡人や離婚した女性は、自分自身の誓いに完全に縛られた。彼女たちには、父や夫の保護がなく、自らの言葉に責任を負う必要があった。

モーセはこれらの律法を民に語り、こう教えた。「主の前で誓いを立てることは、軽々しくしてはならない。あなたがたの言葉は聖なるものであり、神はそれを重んじられる。父や夫が家族を導く権威を持っているように、誓いにも秩序がある。もし誓いを破れば、それは罪となる。」

民はこの教えに耳を傾け、誓いの重みを悟った。神は彼らに、責任を持って約束を守ることを求めておられた。荒野の旅路において、イスラエルの民は、ただ従順に歩むだけでなく、神との契約の厳粛さを学んでいったのである。

こうして、主の律法は民の心に刻まれ、彼らは神の前に真実をもって歩むことを願った。誓いは、単なる言葉ではなく、神との交わりの証であり、その重みを理解する者だけが、真の信仰に生きることができたのである。

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