**ヨハネによる福音書 第十四章**
イエスは、過越の祭りの前夜、弟子たちと共に静かな夜を過ごしておられた。オリーブ山のふもとにある家の上階の部屋には、柔らかなランプの灯が揺れ、壁には弟子たちの影が長く伸びていた。外には春の風がそよぎ、オリーブの木々がかすかにざわめいていた。
「心を騒がせるな。」イエスは深い慈愛に満ちた声で語り始められた。「神を信じるように、わたしをも信じなさい。」
弟子たちは互いに顔を見合わせた。イエスの言葉には、いつもと違う重みがあった。トマスが前に身を乗り出し、不安げに尋ねた。
「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうしてその道を知ることができるでしょうか?」
イエスはゆっくりと目を上げ、トマスを見つめられた。その瞳は、深い淵のように静かで、すべてを見通す光を宿していた。
「わたしは道であり、真理であり、命である。」イエスの声は部屋中に響き渡った。「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない。」
フィリポが思わず口を開いた。「主よ、わたしたちに父を示してください。そうすれば満足します。」
イエスの表情に一抹の悲しみが浮かんだ。「フィリポ、こんなに長い間、あなたがたと一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか? わたしを見た者は、父を見たのだ。どうして、『わたしたちに父を示してください』と言うのか?」
弟子たちは息をのんだ。イエスの言葉は、彼らの理解を超えていた。しかし、イエスは続けられた。
「わたしが父のうちにおり、父がわたしのうちにおられることを信じなさい。もし信じないなら、わたしの業そのものによって信じなさい。」
夜の静けさの中、イエスの言葉はますます力強くなっていった。「まことに、まことに、あなたがたに告げる。わたしを信じる者は、わたしの行う業を行い、またそれよりもさらに大きな業を行うようになる。わたしが父のもとに行くからだ。」
弟子たちの心は熱く燃えた。しかし、ユダ(イスカリオテでない方)がためらいがちに尋ねた。「主よ、あなたがわたしたちにご自身を現わそうとされ、世には現わそうとされないのは、なぜですか?」
イエスは優しく微笑まれた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、わたしたちはその人のところに行き、共に住む。」
部屋の中に聖なる静寂が広がった。ランプの炎がゆらめき、弟子たちの顔を照らした。イエスはさらに深い真理を語られた。
「わたしは、父にお願いしよう。父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになる。その方は、真理の霊である。世はその方を受け入れることができない。見ず、知らないからだ。しかし、あなたがたはその方を知っている。その方はあなたがたと共におり、あなたがたのうちにおられるからだ。」
イエスの目には、未来を見つめる確信の光があった。「わたしは、あなたがたを孤児のように捨てておかない。わたしは、あなたがたのところに戻ってくる。」
やがて、夜が更けていった。イエスは最後に力強い約束を語られた。「平安をあなたがたに残す。わたしの平安を与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものではない。心を騒がせるな。恐れるな。」
弟子たちの胸には、不思議な安らぎが広がった。外では、オリーブの葉が風にそよぎ、遠くで夜の鳥の声が聞こえた。イエスは、彼らがまだ理解しきれない多くのことを語られたが、その一つひとつが、彼らの魂に刻み込まれていった。
「さあ、立ちなさい。ここから出かけよう。」
イエスは静かに立ち上がられた。弟子たちも従った。彼らはまだ、この夜に起きようとしていることを知らなかった。しかし、イエスの言葉は、彼らの心に深く根を下ろし、やがて芽吹き、実を結ぶ約束の種となった。
「わたしは去っていくが、またあなたがたのところに来る。」
その言葉を胸に、弟子たちは暗い夜の道を歩み始めた。