**神の選びと愛:マラキ書1章の物語**
ユダの地は、長い年月の荒廃と捕囚の苦しみを経て、ようやく帰還した民の手によって再建されつつあった。エルサレムの神殿も再建され、祭司たちは毎日のように祭壇の前で犠牲を捧げ、神への礼拝を続けていた。しかし、その礼拝は形だけのものになっていた。民の心は神から遠ざかり、捧げ物も怠慢になっていた。
ある日、主は預言者マラキを通して、民に語りかけた。
**「わたしはあなたがたを愛した」と主は言われる。**
その声は、荒れ野を吹き抜ける風のように力強く、また父が子を諭すように優しかった。しかし、民は主の言葉に疑いを抱き、つぶやいた。
「どのようにして、あなたは私たちを愛されたというのですか?」
主は彼らの不信仰を嘆き、さらに語られた。
**「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ。ヤコブの子孫は選ばれた民となり、エサウの子孫は荒れ果てた地となる。」**
かつて、ヤコブとエサウは双子の兄弟であった。しかし、神はヤコブを選び、その子孫をイスラエルの民とした。一方、エサウの子孫であるエドム人は、傲慢と暴力に満ち、神の裁きを受けて滅びた。エドムの山々は荒れ地となり、再び建てられることはなかった。これこそ、神の主権的な選びと愛の証であった。
しかし、イスラエルの民はこの愛に応えていなかった。祭司たちは汚れたパンを祭壇に捧げ、傷ついた動物を犠牲としてささげていた。彼らは心を込めず、ただ義務として礼拝を行っていた。
主は激しく問われた。
**「そんなものを、総督に贈り物として持って行くだろうか? 彼はあなたを喜び迎えるだろうか?」**
民は黙った。もし地上の支配者でさえ、粗末な贈り物を拒むなら、ましてや天の神である主が、どのように思われるだろうか。
**「わたしの名を恐れる異邦の民のほうが、あなたがたよりもまことの礼拝をささげる。」**
主の声は悲しみに満ちていた。かつて異邦の民でさえ、神の偉大さを認め、真実をもって礼拝した。しかし、選ばれたイスラエルは、神の恵みを忘れ、軽んじていた。
**「あなたがたは、『主の食卓は汚れている』と言い、『疲れるだけだ』と吐き捨てる。」**
祭司たちは、礼拝を煩わしい務めとみなし、心から神を崇めようとしなかった。彼らは、自分たちがどれほど大きな特権を与えられているかを忘れていた。神ご自身が、彼らを近くに招き、仕えることを許してくださったのに。
最後に、主は厳しい警告を発せられた。
**「わたしはあなたがたの祝福をのろう。すでに、わたしはそれをのろっている。あなたがたは心を留めない。」**
民は震え上がった。神の愛は変わらないが、彼らの不従順は裁きを招く。もし悔い改めなければ、エドムのように滅びるほかない。
こうして、マラキの言葉は、神の愛と選びの深さ、そして民の責任を明らかにした。神は真実な方であり、民もまた、真実をもって応えるべきであった。
**「わたしは偉大な王。わたしの名は国々の間で恐れられる。」**
主の御名が永遠に崇められますように。