聖書

闇を射る光

その朝、窓から差し込む光は、冷たく、鋭かった。木村和也はコーヒーカップを両手で包み、オフィスの14階から街を見下ろしていた。下面で蠢く人や車の流れは、まるで蟻の行列のようだ。彼はそう思うと、ふと、自分もその中の一匹に過ぎないのだと気づき、深い徒労感に襲われた。

ここ数年、和也の職場は変わっていた。正確には、変わったのは雰囲気であり、目に見えない何かだ。以前はオープンだった会話が、いつの間にかグループごとに分断され、朗らかだった笑い声の裏に、かすかな噂話の気配が混じるようになった。彼は財務部の課長代理として、前の部長が突如退職した後の、汚れ仕事の清算を任されていた。古い取引の不明点、曖昧な経費処理…。彼が淡々と報告書をまとめ上げるにつれ、社内の空気は次第に重く、冷たくなっていった。

彼の背後では、矢が番えられる音がしていた。彼には聞こえなかった。目に見えない弓から放たれる、言葉でできた鋭い矢だ。「木村さん、前の部長と随分仲が良かったらしいね」「あの報告書、かなり厳しく追及してるみたいだよ。誰か狙ってるのかな」「彼がいるせいで、うちの部門の評価が下がる」。それらの矢は、廊下の端々で、打ち合わせの合間に、宴会の席で、囁きとして放たれた。的は明確だった。和也の評判、そして彼の心の平静だ。

彼らは巧妙だった。決して直接には非難しない。曖昧な笑顔を浮かべ、「心配してるよ」と前置きし、毒を混ぜた同情をそっと垂らす。和也が少しでも反論しようものなら、「そんなつもりじゃなかったのに、随分神経質だね」と、逆に彼が問題であるかのようにすり替えられる。まるで茂みに身を潜ませ、獲物の油断を伺う狩人のようだった。彼は気づいた。自分がオフィスを歩く時、何人かの視線が急に逸らされることを。自分が発言した後の、ほんの一瞬の不自然な沈黙を。

ある晩、残業でほとんど人がいなくなったオフィスで、和也はふと、自分が祈っていることに気がついた。特定の神への祈りではなかった。ただ、天井の蛍光灯の白い光を見上げながら、心の内からわき上がる、言葉にならない叫びのようなものを、虚空に投げていた。「なぜだ」。これほどの苦しみは初めてだった。中学生の時、いじめに遭ったが、あれはまだ無様だったが単純だった。今は違う。大人の、洗練された、計算された悪意。それは皮膚を刺すというより、ゆっくりと骨の中に染み込み、魂そのものを震わせる。

ある重大なプレゼンテーションの前日、和也のデスクに封筒が置かれていた。差出人不明。中には、彼が以前関わった、とっくに決済済みのプロジェクトの書類の写しが数枚。ただそれだけだ。しかし、一枚の付箋が貼られていた。「これ、上層部はご存じですか?」 それだけの文字が、匿名の鋭い刃のように突き立っていた。彼の手が震えた。これは警告か、それとも攻撃の前触れか。彼はその夜、自宅のベランダに立ち、暗い空を見上げた。星は都会の明かりに霞んで、ほとんど見えない。彼は詩篇の一節を思い出した。確か…「彼らは互いに勇気づけあい、悪い計画を企て、密かに罠を張る。彼らは言う、『だれが私たちを見つけ出せよう』と」。

まさにそれだ、と和也は思った。彼らは暗闇でほくそ笑み、自分たちの策略は絶対に見つからないと信じている。その確信こそが、彼らにとっての鎧だ。彼は心の中で、その先を続けた。「しかし、神よ、あなたは彼らを射られます。突然の矢で、彼らは傷つくでしょう」。

そのプレゼンテーション当日、緊張した空気が会議室を満たしていた。上層部がずらりと並び、和也の部署の今期の方針について厳しい質問が飛び交う中、一人の部長が口を開いた。彼は、匿名の封筒の件をほのめかし、和也の過去の業務に「不明確な点」があると、それとなく、しかし確実に非難のニュアンスを込めて発言した。周囲の目が一気に和也に集中する。その部長の口元には、ほんの少し、満足げな、しかし人目を避けるような笑みが浮かんでいた。これが彼らの「隠れた罠」の収束点か。和也は喉がカラカラになった。

その時、ドアがノックを待たずに開いた。社長秘書が入ってきて、社長が急きょこの会議に参加されると告げた。少し遅れて入ってきた古田社長は、飄々とした様子で席に着くと、開口一番、こう言った。「木村君、先日あの古いプロジェクトの最終報告書、きちんとまとめてくれてありがとう。あれは前任者がずっと曖昧にしていた問題でね。きちんと清算してくれたおかげで、大きな火種にならずに済んだ。むしろ評価すべきだ」。

一瞬、水を打ったような静寂が訪れた。先ほど非難めいた発言をした部長の顔が、微かに青ざめた。社長は続けた。「組織にはね、光の当たる部分と、当たらない部分がある。でもね、闇に紛れてコソコソやっていることは、いずれ必ず光にさらされるものだよ。それがいつなのかは分からないがね」。社長の目は、何もない空中の一点を見つめていたが、その言葉は、特定の誰かに向けられた、鈍く重い石のように、会議室に落ちた。

事態は、彼らが予想したようには進まなかった。社長の発言をきっかけに、それまで沈黙を守っていた他の幹部から、和也の地道な作業を評価する声が上がり始めた。匿名の封筒についても、調査が行われたが、それはむしろ、封筒を用意した張本人たちの焦りと動揺を引き出す結果となった。彼らは突然、互いの連携を崩し、言動に矛盾を見せ始めた。密かに張り巡らされた糸が、自らの足に絡みついていくように。

和也に直接の制裁が下ったわけではなかった。しかし、あの会議以降、陰にこもった噂はぱったりと止んだ。かつて鋭い視線を向けていた者たちは、彼と目が合うと、ぎこちなくうつむいたり、必要以上に愛想のいい笑顔を見せたりした。彼らが頼りにしていた「だれが私たちを見つけ出せよう」という闇のベールが、一陣の風によって、みじめなほどにはがされてしまったのだ。彼ら自身の舌が、彼ら自身に向けられた。計画の卑小さ、策略の浅はかさが、白日のもとに曝された瞬間、彼らは急に小さく見えた。

和也の心に完全な平穏が戻ったわけではない。傷跡は残った。人を信じることに、以前のような無邪気さはなくなった。しかし、変わったものもある。あのベランダで暗い空を見上げた夜、彼が虚空に投げた叫びは、決して無に帰さなかった、という確信だ。それは、目に見える劇的な奇跡としてではなく、物事の流れの中に、さりげなく、しかし確実に織り込まれる正義として、応えられたのだ。

彼は今でも時折、窓辺に立ち、街を見下ろす。下面の動きは相変わらず忙しない。しかし、光の質が違って感じられる。あの冷たく鋭かった朝の光は、今は、どんな闇も、いずれはその輪郭を現さずにはいられない、優しく厳かな宣告者の光のように思えてならなかった。すべてを見通す大きな目が、闇の中に潜むものたちを、いずれその姿のまま引きずり出し、人々が驚き、そして悟る時が来る。彼は静かにコーヒーカップを傾けた。苦みの中に、ほのかな甘みが感じられた。

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