その日、エルサレムの空は、雨季を前にしたような鉛色をしていた。通りを行き交う人々の足早な歩みからは、何か気ぜわしい空気が流れていた。イエスは、いつものように群衆に囲まれていたが、その聴衆の中には、金に汚いと噂されるファリサイ派の人々も混じっていることに、弟子たちは気づいていた。彼らは冷笑とも取れる表情で耳を傾けていた。
イエスの語り口は、その日は特に、市井の噂話のような身近さを持っていた。
「ある金持ちに、一人の管理人がいた。ところが、この管理人が主人の財産を無駄遣いしている、という告げ口が入った。」
群衆の一人が軽く笑った。ありふれた話だ。イエスは続ける。
「主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、なんのことだ。会計の報告を出せ。もう管理を任せておくわけにはいかん。』」
物語は、意外な方向へと進んでいく。職を失う危機に立たされた管理人は、失意に沈くでもなく、悔い改めるでもなく、目を爛々と光らせて考えた。『どうしよう。主人が私をクビにすれば、穴を掘るほどの力もない。物乞いをするのは恥ずかしい…そうだ!』
彼は主人に借りのある者たちを、一人、また一人と呼び出した。
「まず、オリーブ油百樽の借りがある男を呼んだ。『さあ、早く、あなたの証文を書き直しなさい。そこに五十樽と書いて、私の前に座りなさい。』」
群衆からどよめきが起こる。何というずる賢さだ。だが、その中にも、思わず「なるほど」と唸る者もいた。その現実的な機転に、である。
「次に、小麦百石の借りがある別の男。『あなたの証文を八十石と書き直せ。』」
物語は唐突に終わる。そして、イエスが放った言葉は、聞く者をさらに混乱させた。「主人は、この不正な管理人が抜け目なくふるまったことを褒めたのである。この世の子らは、光の子らよりも、自分の時代について抜け目がない。」
何という矛盾した教えだろう。不正を褒めるのか? 場内は一種のざわめきに包まれた。ファリサイ派の人々の嘲笑が深まった。しかし、イエスの目は、彼らをまっすぐに見つめていた。その視線は鋭く、土に根を下ろすオリーブの古木のように、揺るぎないものだった。
「ささいなことにも忠実な者は、大きなことにも忠実である。ささいなことにも不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。だから、もしあなた方が不義の富について忠実でなければ、だれが真の富を任せようか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなた方のものを与えようか。」
その言葉は、管理人と金持ちの主人の話から、聞く者ひとりひとりの内面へと、ぐいっと引き寄せられるように働いた。富とは何か。忠実とは何か。管理とは何か。それは、単に金の話ではない。
イエスの口調が、さらに重みを増した。
「どんな召し使いも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
「富」。その言葉が、その場に居合わせたすべての者の胸に、それぞれの重さで突き刺さった。農夫は来年の種籾を思い、商人は荷車の商品を、ファリサイ派の者は神殿への供物とその裏で動く金の流れを。
すると、金のことで自分は正しいと確信していたファリサイ派の人々が、それを嘲笑って嗤った。彼らには、目に見える律法の遵守こそがすべてであり、内面の貪欲など問題にならなかった。イエスは彼らを見据えて言った。
「あなたがたは人々の前で自分を正しいとする者だ。しかし、神はあなたがたの心を知っておられる。人々に尊ばれるものは、神の目には忌みきらわれるものである。」
その場の空気が一瞬、凍りついた。そしてイエスは、別の物語を語り始めた。今度は、管理人ではなく、金持ち本人の話である。
「ある金持ちがいた。彼は紫色の衣や細布をまとい、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。」
誰もが知っている、どこにでもいる富者の姿だ。しかし、話は続く。
「ところが、彼の門前に一人の貧しい人がいて、ラザロという名だった。全身できものだらけで、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと願っていた。犬までもがやって来て、そのできものをなめていた。」
その対照的な描写は、残酷なほど鮮明だった。紫色の衣と、できものだらけの肌。ぜいたくな宴と、食卓から零れる食べ物。門の中と、門の外。たった数歩の距離が、この世では越えられない深淵であった。
「やがて、この貧しいラザロは死んだ。すると、天使たちによって、アブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。」
これまでは、地上の物語だった。しかし、イエスの語りは、死者の世界へと移行する。そこには、もはや門も、紫色の衣も、細布も意味をなさなかった。
「金持ちは、陰府でさいなまれながら目を上げると、遠くにアブラハムと、そのふところにいるラザロとが見えた。彼は叫んだ。『父アブラハムよ、私をあわれんでください。ラザロをよこして、その指先を水に浸し、私の舌を冷やさせてください。私はこの火炎の中で、もだえ苦しんでいます。』」
ここで、すべてが逆転する。願う者と、願われる者。憐れむ者と、憐れまれる者。アブラハムの答えは、厳しい論理に貫かれていた。
「子よ、思い出すがよい。あなたは生きている間に良いものを受け、ラザロは悪いものを受けた。しかし今、彼はここで慰められ、あなたはもだえ苦しんでいる。それだけではない。私たちとあなたがたの間には、大きな淵があって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうとしてもできないし、そちらから私たちの方へ越えて来ることもできない。」
もだえ苦しむ金持ちの口から、次に出た言葉は、驚くべきものだった。
「では、お願いです。父よ、私の父の家にラザロを送ってください。私に五人兄弟がいます。ラザロが行って、警告してくれれば、彼らもこんな苦しい場所に来ることがないでしょう。」
死の淵に立って、初めて彼は「兄弟」のことを思った。地上にいる間に、門の外に横たわる一人の隣人の痛みに、なぜ目を留められなかったのか。その問いかけは、彼自身の中にしかなかった。
アブラハムは言う。「彼らにはモーセと預言者がいる。その言うことを聞くがよい。」
「いいえ、父アブラハムよ、もし死んだ者の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってやれば、悔い改めるに違いありません。」
すると、アブラハムの最後の言葉が、物語全体を、そして今、その話を聞いているすべての者たちを、深い静寂の中に突き落とした。
「もしモーセと預言者に耳を貸さないなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないであろう。」
話は終わった。鉛色の空から、ひと粒の雨が落ちた。群衆は、しばらく動けなかった。不正な管理人の抜け目なさ。金持ちとラザロの、今生と来世を分かつ淵。二つの話は響き合い、一つの重い問いを、それぞれの胸に残していた。
あなたは今、何を管理しているのか。
あなたの門の外には、誰が横たわっているのか。
そして、あなたは、耳を傾けているのか。




