聖書

美の門の奇跡と使徒の証し

エルサレムの午後は、神殿の影が長く伸び始める頃から、何故か緊張が増していくようだった。ペテロはヨハネの隣に立ち、美しの門の傍らで、さっきまで足の利かなかった男が躍り上がって喜んでいるのを、静かに見守っていた。男の顔には、涙と笑みが入り混じっていた。周りの群衆のざわめきが、石造りの回廊に反響して、いつもより大きく聞こえる。

その時、祭司たちがやって来た。神殿の守衛長とサドカイ人たちを伴っている。彼らの歩幅は揃っておらず、一人は早足で、もう一人はゆっくりと、どうにも不揃いな隊列だった。守衛長の顔は硬く、額に汗の光る粒が浮いていた。ペテロはヨハネと視線を交わした。言葉は要らない。もうこの流れは、主が予め告げておられたことだ。

彼らは穏やかに、抵抗せずに連行された。群衆の中から嘆息が漏れた。癒された男は、「あの方たちがどうかしますように」と叫んだが、祭司の一人が鋭く彼を睨みつけた。通り過ぎる石段の感触が、足の裏に冷たかった。ヨハネはつぶやいた。「あの男、明日からまた歩けるんだろうか。」ペテロは首を振らなかった。考えるまでもない。主の御業は、人の都合で揺らぐものではない。

留置場と呼ぶには不釣り合いに広い部屋に通された。壁の漆喰が剥がれ、下地の石が覗いている。時間が経つにつれて、狭い窓から差し込む光の帯が、ゆっくりと床を這っていった。やがて、扉が開いた。大祭司アンナスが入って来る。その背後に、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデルらの姿が見えた。名前を知っている者も、初めて見る者も、皆同じように権威に澱んだ目をしていた。

尋問は、形式ばって始まった。「何の権威によって、また、だれの名によって、このことを行ったのか。」アンナスの声は低く、威圧的というより、むしろ疲れているように聞こえた。ペテロはその時、ふとガリラヤの湖の風を思い出した。漁船の上で、主が「恐れるな」と言われたあの声を。彼は少し背筋を伸ばした。自分の内に、言葉が沸き上がってくるのが分かった。考えて練り上げたというより、湧き出る泉のようだった。

「民の指導者たち、ならびに長老たちよ。」彼の声は、自分でも驚くほど安定していた。「この病人に対して良い業がなされたのであれば、そして、彼がどのようにして癒されたかを知りたいのであれば、あなたがたも、またイスラエルの民全体にも、はっきり知らせよう。これは、あなたがたが十字架につけたが、神が死者の中からよみがえらせたナザレのイエス・キリストの名によるものである。」

部屋の中が、しんとなった。祭司たちの顔に一瞬浮かんだのは、怒りというより、当惑に近いものだった。彼らは確かに、あの男を処刑した。証拠も、口実も、民衆の声も揃っていた。それが今、この無学な、普通の男たちの口から、あの名が宣言される。しかも、死者の中からよみがえったと言う。サドカイ人は、復活など信じていない。彼らの眉間に深い皺が刻まれた。

彼らは二人を外に退かせ、小声で議論を始めた。言葉の端々が、壁越しに聞こえてくる。「あの明らかなしるしを前に、何と言える?」「エルサレム中に知れ渡ってしまう。」ため息のような声。軋む椅子の音。最終的に、彼らは再び二人を呼び戻し、脅すように言い渡した。「これ以上、この名によってだれにも語ってはならない。」

ペテロはヨハネを見た。ヨハネの目は微かに笑っていた。ペテロはまた、あの湖の風を感じた。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。わたしたちは、自分の見たこと、聞いたことを語らないわけにはいきません。」

祭司たちは、何も言えなかった。彼らには、民衆の目が怖かった。あの癒された男が四十歳を越えていることは、皆知っている。否定しようのない事実が、そこにいた。彼らは更なる脅しを並べ立てて、二人を釈放した。門を出た時、日は既に傾きかけ、空が薄橙色に染まっていた。通りには神殿詣での人々の最後の一群が、足早に帰路についていた。

二人は、信者たちが集まる場所へ真っ直ぐに向かった。知らせは既に届いていたらしく、扉を開けると、多くの顔が一斉にこちらを向いた。心配そうな目、安堵のため息、そして祈りに満ちた静寂。ペテロが起こったことを話すと、彼らは一様に神に向かって声をあげた。それは整えられた祈りではなく、複数の声が重なり、時には沈黙が挟まりながら、迸るように続いた。「主よ。いま、彼らの脅かしを顧みて、あなたの僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせてください。」

その祈りが終わった時、集まっていた家全体が微かに揺すられたような気がした。そして、皆、聖霊に満たされ、気づけば互いの手を堅く握り合っていた。そこには、祭司たちの威圧的な沈黙とは全く異質な、温かく力強い静けさが広がっていた。

その後も日々は続いた。使徒たちは力強く証しをし、大きな恵みがすべての者の上にあった。信じる者たちの群れは、心も思いも一つにしていた。資産や持ち物を所有している者は、皆それを売り、代金を各人の必要に応じて分け与えられた。ヨセフと呼ばれるバルナバも、畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。誰もが、自分の物を自分の物と思わない。そこには、乏しい者もいないという、奇妙な、しかし確かな充足があった。

ペテロは時折、あの留置場の冷たい壁を思い出した。祭司たちの当惑した顔も。けれどそれらは、この家の中に満ちている確かな温もり、分かち合うパンの匂い、そして祈りの中に消えていく幻のようだった。主の御名は、脅しによって封じられるようなものではなかった。それは、人々の間で、静かに、しかし確かに、生きる者と死者を分ける息のように広がっていった。

返信する

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です