午後六時を回ると、オフィスの窓の外は、茜色からすぐに鈍い鉛色へと変わっていった。浅野健太郎は、書類の山を見つめたまま、デスクに肘をついていた。肩の重みは、まるで湿った外套をずっと羽織っているようだった。取引先からの苦情メール、来週に迫ったプレゼンの資料、それに部下の山田がまた辞めたいと言い出したこと——全てが絡み合い、胃の奥で冷たい石のように固まっていた。電車に揺られて帰る道すがら、彼は考えた。これが「人生」というものか。ただ責任と義務の鎖を引きずり、少しずつ息苦しくなっていくだけの日々。
アパートの玄関を開けると、静寂が押し寄せた。妻は三年前に他界し、子供たちはそれぞれ遠くで暮らしていた。テーブルの上には、昨日読みかけた文庫本と、請求書が幾つか。ふと、本の下から古い革製の聖書の角が見えた。母の形見だ。彼は特に信仰深いわけではなかったが、時折、この重みを手に取ることがあった。何か、懐かしいものに触れるような、ただそれだけの理由で。
その夜、なぜか落ち着かず、彼はソファに腰を下ろして聖書を開いた。パラパラとページをめくると、「ローマ人への手紙」という文字が目に入った。特に意味もなく、八章を読み始める。
「こういうわけで、今はキリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してない。」
彼は少し眉をひそめた。宗教的な言葉は、いつも少し遠く、現実の泥臭い問題とは別次元のものに感じられた。それでも読み進めた。
「なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからである。」
「御霊」。彼の頭の中には、教会のステンドグラスや讃美歌の調べがかすかに浮かんだ。子供の頃、母に連れられて行った礼拝の記憶。しかし、今の自分に「いのちの原理」などあるだろうか。むしろ、「死の原理」——つまり、この倦怠感、空虚さ、絶え間ない不安——の方がずっと身近に感じられた。
数日後、仕事で大きな失敗をした。単純な計算ミスが、取引に深刻な遅れをもたらした。上司から厳しく叱責され、自分でも情けなくなった。帰りの電車、混雑した車内で、彼はまたあの言葉を思い出した。「罪と死の原理」。これは、単なる道徳的な失敗以上のものかもしれない。自分を縛り、どんなに努力しても結局は空回りさせ、息苦しさだけを増幅させる「何か」。彼はそれを「罪」と呼ぶべきかどうかわからなかった。ただ、確かに存在する「重み」だと感じた。
その週末、珍しく外出した。特に行くあてもなく、街を歩いていると、小さな公園のベンチに腰を下ろした。桜の季節は過ぎ、若葉が鮮やかに茂っている。子供たちの声が遠くで響く。ふと、聖書の続きの言葉が心に浮かんだ。
「もし神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」
彼は空を見上げた。薄雲がゆっくり流れていた。神が味方? そんな実感はまるでない。むしろ、人生は孤独な戦いで、自分は負け続けているように思えた。しかし、「もし」という言葉が、なぜか心に引っかかった。仮定の話だ。けれど、その仮定を考えるだけで、少しだけ風通しが良くなるような気がした。
それから幾日か、彼は意識せずにローマ八章を繰り返し読んだ。通勤電車のなかで、寝る前にベッドで。ある晩、こんな一節で足が止まった。
「同様に、御霊も弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言葉にできないうめきによって、私たちのためにとりなしてくださるからです。」
彼は深く息を吸った。この数週間、彼は祈りなどしていない。しかし、「言葉にできないうめき」という表現が、胸にじんと響いた。そうだ、彼には祈る言葉さえない。ただ、胃のあたりにこびりつく不安と、どうにもならない無力感があるだけ。それが、もし「うめき」であるなら——そして、それが誰かに、何かに「とりなして」いるのだとしたら。考えすぎかもしれない。それでも、ふと、目頭が熱くなるのを感じた。
夏が近づいたある雨の日、かつて部下だった山田から思いがけず電話があった。辞めると言い出した彼が、少し落ち着いた声で近況を話す。別の職場で始めたが、やはり難しい。でも、ゆっくりやってみると言う。「浅野さん、あの時はすみませんでした」。健太郎は、自分がどれだけ追い詰められていたかを思い出し、「いや、こっちこそ」とだけ答えた。電話を切った後、彼は窓の外の雨粒を見つめた。全てが解決したわけではない。山田の苦労も、自分のプレッシャーも、まだそこにある。しかし、なぜか以前ほど絶望的に感じない。少し、風通しが良くなったような。
その夜、聖書を開くと、最後のほうの言葉が目に飛び込んだ。
「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」
彼はそれを、声を出して読んでみた。静かな部屋に、自分の声が少し響く。「どんな被造物も」。この部屋の孤独も、仕事の失敗も、将来への不安も、過去の後悔も——全て「被造物」なのか。そして、それらは「神の愛から引き離すことはできない」?
彼は聖書を閉じ、そっと膝の上に置いた。答えは出ない。信仰が突然湧いてきたわけでもない。しかし、何かが変わった。彼はこれまで、自分を取り巻く全ての「もの」——仕事、人間関係、孤独、失敗——に押しつぶされそうになっていた。それらがすべて、彼自身を定義しているかのように。でも、もしそうではなかったら? もし、それらすべてよりも深いところに、何か確かなものがあるという「確信」が、ただ言葉としてではなく、少しずつ実感として迫ってくるとしたら。
窓の外、雨は上がり、湿った路面に街灯の光が揺れていた。明日もまた、同じ仕事が待っている。山田へのフォローも必要だ。請求書の支払いも忘れてはいけない。全ては変わらない。しかし、健太郎はふと、自分の中に未知の「風」が通い始めたような気がした。それは、問題を解決する魔法の力ではない。むしろ、問題のまっただ中にあっても、それらを「全ての被造物」の一部として、しかし自分を規定する絶対的な力ではないものとして見つめる、ごくかすかな視点の変化だった。
彼は立ち上がり、コーヒーカップを洗いに行った。流しの水音が、静かな夜に響く。何かが始まったわけではない。ただ、ほんの少し、囚われから解かれたような。それでも十分だと、彼は思った。今日は、これでいい。



